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忘持経事
教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し云々。
対合衆は富木常忍、半僧半俗の弟子です。
教主釈尊には何通りか読みがあると言われる一つ。大聖人が釈尊像を造るわけじゃないのでここでの教主釈尊は十界曼荼羅本尊をさします。
さてよく引どう(葬儀)するのに僧侶はいるのかいないのかが争点になるわけですが、半僧半俗の富木常忍自身が葬送すればいいのに身延に隠遁された大聖人の所までお母様のお骨を持っていく必要があるのか、です。
大聖人自身が葬送なされていた文証がこの忘持経事です。
在家が葬送してよいという文証はあるのかな。
文証無きは悉く是れ邪の謂い
(持妙法華問答抄)
上掲御金言を創価学会はまず引用しません。
正宗であろうが創価学会であろうが御書はきちんと拝したいものですね。
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