出世の本懐
2.15聖教新聞『社説』に弘安2年大聖人御述作の『聖人御難事』をひいて
『釈尊は40年余り、天台大師は30年余り、伝教大師は20年余りに、私は27年である』(通解)
当時駿河国の富士地方で悪僧と政治的権力による不当な弾圧が起こった。『熱原の法難』である。農民門下は命に及ぶ危機にも不退転を貫いた。大難に屈せず御本仏と共に戦う民衆の出現。ここに民衆仏法の礎の確立という【大聖人の出世の本懐】の成就があると拝される云々。
大白蓮華2014年8月号任用試験特集号には
弘安2年10月12日に一閻浮提総与の大御本尊を建立されました。とあり、前頁にある日蓮大聖人略年譜にも弘安2年10月12日一閻浮提総与の大御本尊御建立…とある。
学会版旧版御書末尾の年表にもその旨記されている。
前々回の任用試験受けたわけだがその時まだ一閻浮提総与の大御本尊の事を大聖人の出世の本懐と学んだ記憶がある。
あとの資料はないが、数年前執行部が
『弘安2年10月12日の御本尊は受持の対象にしません』と11.8聖教新聞紙上3面で会則変更して以来なのかしら。
大聖人出世の本懐が
熱原の法難とだけになり、一閻浮提総与の大御本尊建立が抜けたのはその頃か。
それまでは学会資料や三大会長の言にもあったはずなんだが…
くどいが私は未だ学会員の端くれだ。大石寺にくみしない。
和合僧時代だからというのはロジックとしては根拠は弱い。
きちんと文証出して教えてほしい。
文証無きは悉く是れ邪の謂い
と持妙法華問答抄にあるのでね。
拙者の梅干しの種のような脳みそ🧠ではわからないのでね。
感情論感傷論はいりません。
またまた生真面目な学会員さんに叱られそう。
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