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恩寵に対する態度

弟子檀那等列伝は堀日亨上人の作か、大石寺版御書にはない。

篤信の者、反逆者など簡潔に説明してある。

白蓮阿闍梨日興の項目には

大聖人佐渡御流罪の時は、日興一人能く万難を忍んで常随給仕し其の信行の熱烈なるは、本間の一族及び阿仏一家を動かしたる事は甚大で佐渡の仏法は上代に於いては純一に富士門徒であった、と。

この『常随給仕』の態度こそ【恩寵】に対する態度ではないかと推測する。

ここに日蓮仏法者の取るべき態度が示されていると思う。

イスラム教徒はクルアーンやハディース等戒律を厳格に守り、額を地につけてひたすら祈る…

大石寺版御書発刊の辞に67世日顕上人が『三大秘法の基本的要素である戒定慧による教義綱格の完備云々』とあり、

戒体即身成仏義、戒法門、色心二法抄など戒に就いての御文がある。重書『本門戒体抄』が除れてるとは言えど、学会版御書には上掲戒に就いての御文はごっそり抜けている。

恩寵に対する態度は戒を守ることでもある。

イスラム教のクルアーン然りキリスト教の聖書然り。

日蓮仏法は啓示宗教ではないが、やはり恩寵に対する態度の現れとして戒を守ることで示される…と。

学会は会員同士の金銭の貸し借り、男女問題くらいか。それも戒ではあるが、組織内のであり、恩寵に対する態度ではない。

拙著『アメージンググレイス』参照されたし。

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