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主の祈り

新約聖書マタイの福音書に『主の祈り』と呼ばれる祈りがある。

また異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は言葉数が多ければ聞き入れられると思い込んでいる。

彼らの真似をしてはならない。あなた方の父は願い前からあなた方に必要なものをご存知なのだ。
だからこう祈りなさい

『天にまします我らの父よ
御名があがめられますように。御国が来ますように。御心が天で行われるよう地にも行ってください。わたし達の日用の糧をお与えください。わたし達の負い目をお許しください。わたし達もわたし達に負い目のある人たちを許しました。わたし達を試みに合わせないで悪よりお救いください』と。

学会に入っては祈る時個別具体的に、しかもイメージして祈りなさいと教えられた。

しかし私は上掲『主の祈り』の前提のように私の願いは祈る前から御本尊はご存知だと信じる者ゆえに自分の事はくどくど祈らない。

御本尊への感謝と縁ある人たちの幸せしか祈らない。
御本尊は生身の仏様。私の事は私以上にご存知なのだから。

今朝思いついたことサクッと書いてみました。

偏屈学会員だもんでさ。

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