38.韓国で働いた4年間 part2

前回は主に仕事面について書きましたが、今回はプライベートや仕事以外の側面を書いていきたいと思います。

どこに住んでいたのか?

私が住んでいたのは東部二村駅の近くにあるアパートで、子供が日本人学校に通う必要がある場合には必然的にここに住む必要があります。もちろん、日本人学校の近くに住む方もいらっしゃいますが、職場から離れてしまうと通勤が大変になるため、通勤的な利便性を考えて、東部二村駅に住む方が多かった、と記憶しています。


会社どこにあったのか?

会社は水原市(スウォン)という場所にありました。サダン駅まで電車を使い、サダン駅から会社までは会社のバスで行きます。高速道路に乗って大体40分程度でした。6時には家を出て、7時過ぎに会社に着くイメージです。会社の食堂で朝ご飯(無料)を食べて、大体8時くらいから韓国語の授業が行われ、9時から就業開始です。


飲み会はあったのか?

2,3か月に1回のペースで会社の親睦会、日本人同士では2週間に1回のペースで飲みに行ってました。スウォンで飲むこともありましたが、自宅近くの梨泰院などで飲むことも多かったです。梨泰院は海外の料理が沢山あり、飲み屋さんも豊富だったため、よく行った気がします。タクシーがつかまりにくいのが唯一の難点だったかもしれません。


好きだった食べ物は?

チキンです。家の下にあるチキン屋さんのスンサル(骨なし)チキンが美味しく、毎週金曜日、土曜日あたりにいつも食べていた気がします。チキンはどこで食べても美味しいので、韓国に行ったらチキンは必須ですね。


韓国語はどのように習得したか?

会社で朝の授業が月曜日から木曜日まで毎日50分程度行われ、土曜日には日本の大使館が主催の韓国語クラス(3時間程度)に通っていました。殆ど毎日休むことなく、韓国語を勉強していたため、精神的にきつかったことを覚えています。おかげさまで今でも韓国語を話して交流を図る事ができます。初心者レベルまでは伸びましたが、仕事以外では積極的に使わなかったこともあり、日常会話や仕事に限定した領域で使えるレベルでした。個人的にはもう少し高いレベルで使えたら良かったかなーと感じています。


週末の過ごし方は?

同じアパートや近所に日本人のお友達が住んでいたこともあり、子供たちを友達の家に送ったり、下の公園で遊ばせたりしていました。家族での買い物は家の下にあるスーパーか、IFCモールをよく利用していました。コヤン市のモール、パジュのモールも車を使って行っていました。ヨンサン駅が歩いていける距離にあったため、家族で歩いてヨンサンアイパークまでショッピングに行くこともありました。ヨンサン駅は今、開発が盛んに行われており、東側はかなり発展してきました。地下街なども出来てきましたし、駅前に大きなアパートも建ってます。非常に便利な立地で、楽しく生活出来ていたと思います。ヨンサン駅の西側は昔からある街並みを感じさせるところもあり、昔の韓国を感じるには良いところだと思います。

二村駅からはホンデ、イデなど学生たちが集まるような活気がある街が近く、地下鉄ですぐに行けるので買い物をしたい時は行っていました。家族でお出かけで行くところに困ることはなかったような気がします。

日本人学校がある地域はテレビ局が多く、映画やドラマの撮影が頻繁に行われていました。オシャレなカフェも多く、豊かな気持ちにさせてくれます。

ヨンイン市にあるEverlandやEverlandの横にあるカリビアンベイのプールには夏に何度か遊びに行きました。子連れで遊びに行くには十分に楽しかったです。

Starfield COEX mallなど挙げればきりがないですが、ソウル市内には多くの観光スポットがあり、楽しむことが出来ました。


難易度が高かった点は?

食べ物です。食べ物が大体全部辛いため、子供の食べるものが少なく選択肢が限定的でした。ツナサンドイッチでさえ辛いため、おにぎりを持参することも多かったです。毎回、味見をして辛いかどうか確認してました。私自身は辛い食べ物が好きになったため、問題はなかったのですが子供たちはすぐに順応できなく、困る事も多かったです。通訳さんも辛い物が苦手な人が一定数いたため、今後辛くない食べ物も増えてくるのではないかと思います。



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