日記20220111 テセウスの人間

豚の心臓を移植されることを決断された方のニュースを見て、人間どこまでパーツが置き換わったら同一性を維持できなくなるのだろうか、という疑問を持った。

まるでテセウスの船のような話であるが、テセウスの船をWikipediaで軽く調べたら、この発想を人間で置き換えるという発想は既にこすられすぎたネタであることが判明。そりゃやっぱりみんな考えるよね。

日本の作品では、手塚治虫の『火の鳥 復活篇』の主人公レオナは事故でサイボーグに生まれ変わった際、脳の一部までもを人工物に置き換えたためか(作中には、それが原因だろうという示唆はあるが、明言はされない)有機生命体を見てもそれを生き物であると感じることができなくなるなどし(作中では、彼の目を通した情景として、生物がゴミクズのように描かれる)、自分が何者なのか悩みつづける。後の作品では、『攻殻機動隊』において、サイボーグは人間なのかというテーマは繰り返し語られている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%BB%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%81%AE%E8%88%B9#%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%81%A7%E3%81%AE%E4%BA%8B%E4%BE%8B

将来、医療技術が発達して、脳以外の部位は完全に交換できるようになったとき、それは同一の人間といえるのだろうか。魂の議論にも陥りそうである。

一説によれば、人間の平均寿命も今後どんどん伸びていくらしい。ずっと後の世界に思いを馳せてしまう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?