初体験(仮)11

部屋に戻ると、ベッドで真っ白のワンピースとハイヒールがベッドサイドの暖色の光を優しく吸い込み、一際の存在感で私を迎え入れてくれた。シャワーを浴びて、このとびきりにオンナを引き立ててくれる子達に袖を通している間だけは、烏取県の藍渕医院の御曹子の藍渕頼直という男の名前も身体も忘れて、ジャコ…藍渕邪子という一人のオンナに今日私はこれからなるという事が実感としてジワジワと湧き始めると、もういても立ってもいられず首回りの張りの無くなった黄色のTシャツを頭から勢いよく脱ぎ捨て、その後もシャワールームに向かってジーンズ、白のブリーフ、足の裏の茶ばんだ靴下と足跡のように点々と脱ぎ捨てて引き戸を開ける。洗面台とバスタブとシャワーブースがカーテンの仕切りだけで全て一体の広々としたバスルームは壁から床まで全て漆黒の御影石で、スポットライトの光を狭く鈍く広げていて非日常でありながらも落ち着いた空間になっている。
足の裏にひんやりと気持ちの良い石の感触を確かめながら、ふわふわの肌触りの厚手のバスローブを羽織って洗面台の鏡に映っている自分を見ると、まるで女優になったようで、思わずうっとりとしてしまう。150センチの身長で肩幅もない、顔も尖ったパーツはなく全体的に丸っこい作りの私は、ひいき目で見なくても可愛らしい所があると思う。でも、鏡の向こうの世界には臭いは存在しないが、こちら側の私には、頑固なオスとしてのワキガがあって、思わず顔をしかめる。この1週間、動物性の食物の全てを抜いたフルーツ生活で最上のかわいいを身体に満たし続けてきた成果はきっと出ている…とは思いたいが残念ながら今この瞬間は自分でも饐えた納豆の臭いを感じる程度になっている。
せっかくの一流のホテルの極上のオシャレさと清潔感が、その臭い1つで不潔な水回りという印象に一気に変わってしまうのだから臭いとは本当に恐ろしい。大きなため息と共にシャワーブースに行き、少し熱めの温度でオーバーヘッドシャワーを念入りに浴び、汗と臭いを洗い流した。再びバスローブを羽織って洗面台の前に立つ。今度はワキガの臭いに邪魔される事も無かった。鏡に対して斜めに立ち、頬を少し膨らませて手のひらをそこに添えて1ポーズ決めてみた。鏡の向こうの自分に向かって大きく頷く。烏取の実家では決してできなかったメイクも、大学への進学を機に実家を出てから今日のために日々研究と練習を繰り返してきた。大学は歯学部で、親の敷いたレールから外れてはいない。とはいっても高校が推薦枠を持っている長野の大学の枠を父親が高校の校長に言って私をねじ込んだので、私は受験勉強は全くしていない。受験勉強をしていない分の時間は、決して振り向く事が無いと解った古賀くんをその後も何とか振り向かせる為に金を積み、休日の度に女性らしい香りのハンドクリームや香水を片っ端から買い揃える為に神戸や京都にまで遠征したりしていた。そのどれを使っても決して振り向かれる事はなく、それでも良いから2人の時間が欲しくて更に更に貢いで、心理的には合格する望みの薄い受験生のような、いつも追い込まれた気持ちの日々だった。
長野に引っ越して一人暮らしが始まった当初は燃え尽きたような気分でゴールデンウィーク明けまではろくに学校に顔を出さず、東京に上京して夕方から宵の口にかけては小さなホールでの昭和歌謡のコンサート、夜は新宿二丁目のゲイバーに入り浸った。1970年代後半生まれの私は本来は昭和歌謡の世代では無いが、歌謡曲を聴いている時とそれについての話題の時だけは両親との壁が無くなって、怒りの琴線に触れる事も無かった。だから私は少しでも両親の穏やかな愛情を受けたくて、新しいポップスには目もくれず音楽は物心ついた時から昭和歌謡一筋だ。そして憧れだったゲイタウンの新宿二丁目…そこはありのままの私が受け入れられた初めての場所で、そこで酒を煽り同じようにお姫様の心持ちで男を愛する男たちと語らう中でメイクの仕方からメイク道具、化粧品の選び方を教わり、その楽しい日々のお陰で古賀くんへの傷心から一気に立ち直ろうとしていた。と、同時に通帳の残高の減りの爆発的な早さがあった。放蕩生活を続けるためには両親の機嫌を損ねるワケにはいかなかった。もしくは全てを投げ出してここで正式に働いてしまおうかという考えも随分と頭を過ぎったが、その勇気は湧かなかった。私にとってやっと呼吸ができる生活水準というのは庶民の年に1回の贅沢を毎日繰り返す事であって、それ以下の生活は私にとっては現実的では無いという結論は最初からあった。だから教わったメイク道具と化粧品を一通り買い込んで東京を後にしてゴールデンウィークの飛び石の平日から、長野で最低限の単位を取る学生生活を送り始めた。新宿には月に1度
か2度、金曜の最終の特急で上京しては二丁目を開拓し続けた。
そんな生活を1年ほどした頃に二丁目の飲屋街から出た公園近くのマンションの一室で、イケメンでスポーツマンのボーイ…いわゆる男娼を揃えた高級秘密クラブがある事を知って訪ねていった時だった。そこは実に慎重な店で紹介の無い一見はボーイと直接対面するのが叶わないという形式の店だったのでファイルで所属しているボーイの写真と簡単なプロフィールのみで頼むのを誰にするか決めねばならなかった。
そのファイルの中に私の最初を捧げるのに相応しい男がいた。それが今日これから来るケイタである。プロモーション用の写真だけだが、顔の整い方といい写真から醸し出されている雰囲気といい背中に電気が流れるような衝撃で、すぐにお願いしようと思ったが、大事な最初は入念に準備をしたいと思ったので先の日付でお願いをして前金としてその場で半額の金を入れ、今日の日を迎えた。
モノクロ画面のケータイのバックライトを点けて時間を確認すると22:00…ケイタが到着するまであと1時間半、入念なメイクと準備をするのに十分な時間はある。いよいよ私の最初が、貫かれる瞬間がすぐそこに来ている。女性用の下着を身につけ、アンダーバストのギッチギチのフォクシーの白のワンピースを纏うと心臓の鼓動の音を聞きながらイヴサンローランの化粧ポーチに手を伸ばした。

#小説 #セクシャルマイノリティ #大人向け

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