愛知和男氏との対話 00

 この度、不肖・櫻田のnote記事のマガジンの中で、「愛知和男氏との対話」と題したコーナーを設けることにした。

 愛知和男氏は、不肖・櫻田にとっての「永田町における『師匠』」である。氏の傍らで、併せて十年近く政治の現場を観た。他の政治学者の方々の多くは、留学先を海外大学・研究機関に求めているであろうけれども、不肖・櫻田にとっては、永田町がその「留学先」であったといってもよいであろう。

 愛知氏の傍らに居た時節は、一九九三年の細川護熙内閣成立から二〇〇〇年森喜朗内閣に至る時期、そして暫時空いて二〇〇五年の小泉純一郎内閣の時期である。不肖・櫻田は、その時節、政治学者とは全く異なる「永田町インサイダー」であった。

 その愛知氏が、政治に関わる所見を広く世に披露したいということなので、不肖・櫻田も、微力ながらお手伝いすることにした。これが、そのひとつの試みである。読者諸姉諸兄には、永田町で「勤続二十五年」を務めて表彰されたこともある老政治家の言葉に耳を傾けてもらいたいものだと思う。氏曰く、「政治家は、議員バッジを持っていなくても、国を思う構えにおいて何時でも政治家である」だそうである。

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