政治に関わる信条 17

 前にも書いた通り、北海道大学法学部時代は、そこに在籍していた政治学系の先生方には軒並み、お世話いただいた。後に実際に私立大学で教鞭をとるようになって驚いたことは、学生がひとつのゼミにしか参加できないシステムになっているということであった。北海道大学でも東京大学でも、学生が三人や四人の先生のゼミに同時に参加しているというのは、当然のことだったので、このことには長く違和感を感じた。不肖・櫻田は、その故に北海道大学では誰の弟子かは明確に語り得ない存在である。東京大学では五十嵐武士先生にスーパーヴァイザーを引き受けていただいたから、五十嵐先生を師匠であるとは語り得るかもしれない。それでも、佐々木毅先生、猪口孝先生、田中明彦先生、鴨武彦先生のゼミに参加していたのだから、そうした先生方の「教え子」であるともいえる。

 こうした帝国大学系のシステムは、現在の不肖・櫻田の観点からは、実に佳いものだと振り返ることができる。北海道大学時代に関して言えば、山口二郎先生からは日本現代政治、古谷旬先生からはアメリカ政治、酒井哲哉先生からは日本政治外交史、長谷川晃先生からは法哲学の知見を、単なる講義で得るもの以上に濃密に教えていただくことができた。逆に言えば、国際政治の中村研一先生のゼミには加わらなかったので、北海道大学では国際政治学を勉強したとはいえないのである。国際政治を勉強したかったのに、この五年はその周辺の勉強で終わったのである。

 因みに、長谷川晃先生のゼミで読んでいたのが、フリードリッヒ・フォン・ハイエクの『法、立法、自由』、更には『自由の条件』であった。ゼミでの理解を深める都合上、ハイエクの『隷従への道』も読んでいた。後日、障害者福祉ネタで雑誌『中央公論』に最初の論稿を載せたとき、その下敷きにしたのは、ハイエクの「自由」の議論であった。これに関連して、ハイエクの論敵であったらしいジョン・メイナード・ケインズの書も手広く読んでいた。ここだけを見たら、不肖・櫻田は、国際政治学徒ではなく、完全な経済学徒である。ただし、北海道大学では、そういう勉強の仕方をしていたのである。今から振り返れば、それが実に役に立ったと得心する他はない。

 今朝、タクシーで移動したら、車内で「無駄よ、さようなら」などと呼びかけるCMが流れていた。だが、「無駄ができる」ということが、学問の本質ではないかと往時を振り返って切実に思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?