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雑文1

こんにちは、Jun Nishiharaです。

村上春樹の著書に『雑文集』というものがありますね。むかし(たしか2011年頃かな)単行本で出版された時に買って読んだんだけれど、装本が美しかった。当時は僕はケータイ(世の中がスマホに移行し始めた時期だった)で写真を撮るというクセが付いていなかったので、その美しい装本の『雑文集』を写真に撮らなかった。当時は埼玉県所沢市に住んでいて、所沢駅の裏?だったかな、西友スーパーがある近くのTSUTAYAでその『雑文集』を買った。2011年3月11日の大震災があった後(所沢市のアパート3階に住んでいたがかなり揺れた)、心の変化があり、和歌山県の実家に引越しをした(つまり実家に戻った)。所沢市のアパートは退去した。しばらくして、パキスタン(正式名:パキスタン・イスラム共和国)イスラマバードに仕事のため、引越した。イスラマバードで3年住んだのち、東京都江戸川区西葛西に引越しをして2年後、また、パキスタンに戻った。こんどはパキスタンの最大の都市であるカラチ市というところに4年近く住んだ。カラチから仕事の事情でこんどはアメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市に住むことになり、現時点でここに住んで3年が経過した。埼玉県所沢市で『雑文集』を買って以来上記のとおり引越し(というか転勤)を繰り返してきたので(その間に結婚もしたし、子どももありがたいことに授かったしで)、その『雑文集』はどっかへ行ってしまった。もう原物は持っていません。

写真もなければ、原物ももうない。

でもオリジナルはこういうものだったんですよ、とみんなに見てもらいたいので、Googleで探したら、見つかった。便利な世の中だ。これがそれ。

透明のカバーで文字が浮き上がるような装丁になっていた(初版2011年)。当時は珍しかったように思う。

ね、きれいでしょ?

先日、この著書の文庫本が発売されているのを偶然、ニューヨークの紀伊国屋書店で発見した。なつかしいなぁ、と思って、こんどは単行本ではなく、その文庫本を買った。(上記写真の装丁の単行本はもう見当たらなかった。)そして今はiPhoneで写真を撮るクセが付いてしまったので、買った文庫本の写真も撮っておいた。これはなんの変哲もない、通常どおりの文庫本の装丁の写真です。

なんの変哲もない今の文庫本の装丁(撮影:2024年5月25日)

この新潮社出版の文庫本の帯に、「文庫本のためのあとがき」を引用して、こう書かれています。

とにかくこれが、僕という人間が実際に感じたり考えたりしてきた形跡なのであって、今さら隠すにも隠しようがない。「まあ、なんと言われても仕方あるまい」というほとんど開き直った気持ちで本のかたちにした。少しでも楽しんでいただけると、あるいは何かのお役に立てていただけると、僕としてはとても嬉しい。

村上春樹『雑文集』文庫本のためのあとがき より

先日、パレスチナ擁護者たちによるイスラエルに対するデモがニューヨーク市マンハッタンであった。デモは平和裏に終わった。嘘のように思うかもしれないけれど、僕はそのデモをかわして行った紀伊国屋書店で買ったのが上記『雑文集』の文庫本だった。この本を読んだことがある人はご存知だと思うけれど、この『雑文集』には村上春樹のかの有名なエルサレム賞・受賞のあいさつ「壁と卵」のスピーチが全文掲載されている。スピーチの前書きを引用します。

2009年2月、エルサレム賞の受賞の言葉として書いたものです。当時ガザの騒乱に対するイスラエル政府の姿勢に非難が集中しており、僕がエルサレム賞を受けたことについては、国内外で激しい批判がありました。正直言って、僕としても受賞を断った方が楽だった。何度もそのことを考えました。でも遠くの土地で僕の本を読んでくれているイスラエルの読者のことを考えると、そこに行って、自分の言葉で、自分なりのメッセージを発する必要があるのではないかと思いました。そんな中で、この挨拶の原稿を一行一行心を込めて書きました。ずいぶん孤独だった。ビデオで映画『真昼の決闘』を何度も繰り返し見て、それから意を決して空港に向かったことを覚えています。

村上春樹『雑文集』「壁と卵」-エルサレム賞・受賞のあいさつの前書き より

現在2024年、戦争に発展してしまったパレスチナ・イスラエルの問題の渦中で、僕は久しぶりに偶然この本に再会したのでした。

そのスピーチで村上春樹はこう言います。

もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。

村上春樹『雑文集』「壁と卵」-エルサレム賞・受賞のあいさつ より

僕はこれ、2011年に読んで当時、感銘を受けて、おかんに音読したのを憶えています。

当時なぜ僕がこのスピーチに感銘を受けたのか(スピーチは2009年ですが、僕がこれを読んだのは2011年)というのは、村上春樹のこの一文でこれまでの僕の人生がすべて「そういうことだったんだ」という感じの一種の納得感を憶えたから、でした。

カニエ・ウェスト(Kanye West)がデビューした2001年当時(当時はジェイ・Z(Jay-Z)の名作『The Blueprint』というアルバムで「いち」プロデューサーとして楽曲制作に関わっていた単なるビートメイカーでしたが)から僕がなぜ、カニエ・ウェストを慕って(憧れて、また目指して)自分の人生を生きてきたのか、ということをすべて肯定してくれているように、この文章を読んで感じたから、でした。

どういうことかというと、僕がカニエを好きなのは、カニエは常に「卵の側」のヤツだから、ということにハッと気づかされたから、でした。

まぁ、カニエに至ってはもう「卵の側」どころか「飛んで割れる卵そのもの」ですよね。で、いつも叩かれる。メディアからも、米国政府当局からも、白人社会からも、米国市民からも。

でもカニエは常に「卵」ないし「卵の側」でいつづけている。意識的か、無意識かは別にして。それが彼の生き様のようである。

初めてのポストなので、肩ひじ張らず「雑文」でも書こうと思ったので、そういえば村上春樹の著書に『雑文集』というのがあったな、と思い出したので、それをネタに書いてみたのでした。

実は別のサイトでここ数年間、黒人音楽の研究室(とりわけHip-Hop)についてブログを書いてきたのですが、本業の仕事が多忙を極めることになり、しばらくお休みをしてました。再開しようと思ったのですが、少しプラットフォームを見直そうと思い、こちらのnoteで初めて、今回初めてのポスト(雑文)を書いてみたのでした。

どれくらいの頻度でこれから書いていくか、何をネタにして書いていくか、何も全く決めていません(笑)。仕事も相変わらずいそがしいので、次に書くのがいつになるのかもわかりません(笑)。なので期待しないでください。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

Jun Nishiharaでした。

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