終わりなき旅のはじまり⑧

1989年1月 昭和天皇が崩御され、年号が「平成」に変わった。

高校1年生だった僕は、小渕官房長官がテレビで新しい元号を発表した光景を今でも覚えている。

その頃だったと思う、父親が腹膜炎で運ばれて手術をするという連絡が入った。

父親は市内のアパートに住み、叔父達にお世話になっていたが突然吐血をし倒れたとのことだった。

病院にお見舞いに行った僕は、
久しぶりに父親と会った。

4年ぶりくらいだったと思う。

お母さんは元気か?お前は今何してる?勉強して大学に行きなさい、困った時は叔父さん達を頼りなさい、こんな会話をしたような記憶がある。

何処かに連れてってもらった、何かを一緒にしたなどの思い出もほとんどなく、アルバムを見ても父親と一緒に写ってるような写真もない。

姉達からは今でもたまに父親とはどんな人だったのか聞くのだが、これといって特に話が出てこない。

父親は中央大学を卒業、昭和5年生まれという年代にしては176センチほどで背が高く、学生時代はバレーボールをしてたそうで、法曹になりたかったそうだ。

高校に入ってから僕の背が30センチほど一気に伸びたのは父親の遺伝もあったのかなとも思う。

それから何年か後、父親は千葉の親戚のお世話になるため横浜を離れていった。

高校2年になろうかという頃、夢中になって見てた番組があった。

「三宅裕司のいかすバンド天国」である。
アマチュアバンドが勝ち抜き式で優勝を狙うという番組だった。

音楽番組では見れない、色んなバンドが出演し、ライブハウスに行ったような気になるから好きだったのだが、番組から続々とメジャーデビューをするアマチュアバンド、メジャーとアマチュアという境目が曖昧になり、どこか叩き売りしてるかのようなそんな感じをしたのを憶えている。

CDの販売数がレコードの販売数を超えたのもこの頃で徐々にレコードは市場から姿を消していった。

これから2年後にバブルは崩壊を始めるのだが、今思えば、この頃から少しづつ始まってたような気がする。

そんな時、部活を終えた帰り道で黒ちゃんと偶然にも久しぶりに会った、1年ぶりの再会だった。

終わりなき旅のはじまり⑧終わり。

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