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終わりなき旅のはじまり第2章⑨

「姜くん、テキーラいこか」

山中湖での泊まり込みのレコーディングで同部屋になった植松さんがニコニコしながら僕に言った。

いきましょう!とストレートで一杯飲んではまた一杯、毎晩空っぽになるまで2人で飲み明かした1週間を過ごしたのは1998年の夏の終わりの頃だったと思う。

レコーディングエンジニアである植松さんとは1995年に僕が務めたレコーディングスタジオで出会った。(終わりなき旅のはじまり14章参照https://note.com/jun_kyo/n/nda7aae607e82)

金髪で迫力があり初めてお会いした時は怖い人だなぁという印象で、業界というものを知らなかった当時22歳の僕は、「こいつダメだ!機材も揃えられないのかよ、舐めてんなら帰れよ」と最初はかなり怒られた。

見てろよ!という気持ちで僕もひたすら勉強して学んで頑張ってようやく認めてもらったのか、ある日を境に音楽の話をしてくれるようになり、いつしかお酒も一緒に飲むようになった。

その後レコーディングスタジオを僕は卒業、僕は行き着いてロックバンドのマネージャーになったのだが、そのバンドのレコーディングの仕事でご一緒出来る事になったのがテキーラの夜だった。

エンジニアの植松さんはチャゲ&アスカからインディーズのロックバンドまで大変多くの作品を残してきた。

業界をやめた僕は数年の間、植松さんにはお会いしてなかったがある日SNSでバッタリ、繋がったのが2014年頃だったと思う。

その頃植松さんは札幌で住み込みで仕事をしていた。「姜くん、写真を見せてくれ、とにかく写真を沢山見せて」といつも言っていた植松さんは毎朝ロモのLCAで撮った同じ景色の写真をUPしていた。

2015年の冬、植松さんが癌で死去されたというメールが僕のところに来た。

病院に行ってる様子の写真や禁煙禁酒という言葉を話してたのは覚えてるのだが、何となく写真を見せて!と言った植松さんの言葉が僕の頭の中で勝手にリンクして涙が止まらなかった。

2015年3月、お葬式に駆けつけた僕に「姜!顔見に行けよ」と肩を叩いて当時の諸先輩や仲間が背中を押してくれた。

祭壇にはロモのLCA、キャノンオートボーイが飾られいた。

-あとがき-

植松さんが手がけた作品で1番好きな曲があって、谷口宗 「指でさようなら」という曲がある。

この曲の1分40秒あたりからを是非聞いて欲しいと思う(noteはyoutubeアドレス貼れないみたいだがyoutubeにあります)。今でもこの曲を聞くと植松さんを思い出す、そんな曲。

この記事は終わりなき旅のはじまり第14章で書きもれた話。

また亡くなった方の1番の供養は忘れないことという言葉を頂いて思う事あっての追記でした。


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