終わりなき旅のはじまり第2章④


32歳の頃、三重県に向かった。

生まれも育ちも横浜、音楽の仕事してた頃、全国主要都市は大体巡ったのだが、三重県は初めてだった。

新しい職場は出来たばかりの商業施設の中にある大きなフードコート、大きな窓から大きな観覧車が見え、時々きゃーという声と共にジェットコースターが走っていた。

10年やってた音楽の仕事をやめて、新たに飲食業で働いていくために商業施設でのフードビジネスをここで3年間学ぶ事になる。

このフードコートには1人の総料理長がいた。とにかく迫力がある人で酒が大好きな人だった。

仕事が終わると、よく飲みに誘われた。誘われるまま酒を酌み交わしていくうちに、おい弟!と可愛がって貰えるようになり、いつしか僕も兄貴と呼ぶようになっていた。

ある日のこと、「スタッフの披露宴を閉店後のフードコートでやりたい、このフードコートをライブハウスにしてくれ、料理は俺が作る」と兄貴に頼まれた。

部屋にあるミキサー、CDJ、MPC3000というサンプラー、マイクを眺めながら出来そうだと思った僕は、職場で働く社員、アルバイトに声をかけ賛同してくれた人達を集めてバンドを組ませた。即席バンドの誕生である。

課題曲はRCサクセションの「雨上がりの夜空に」にした。

仕事を終えたあと、スタジオに行っては練習する即席バンドに夜毎付き合った。

いよいよ本番の日、披露宴は始まった。

アンブとスピーカーはレンタル、その他は自前の機材をセットした。

だだっ広いフードコートはその晩だけライブハウスへと変わり、僕は酒を飲みながら、CDJからボブマーリーを流す、そして新郎新婦の入場、なぜかその入場のテーマに桑名正博の「セクシャルバイオレット」を選んだのを覚えてる。

そして即席バンドのライブが始まる。

酒も入ってたし、曲のノリも手伝って、なんとも言えない高揚感、とても楽しかった記憶が今でも残っている。

そんなこんなもありつつ、僕はそのフードコートでみっちり3年間、フードビジネスを学んだ。

そしていよいよ、僕の飲食業で生きる道の最後の学習、職人の世界へ行くことになる。

35歳の頃、僕は名古屋の大須に引っ越した。


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