見出し画像

ロドヴィコ・ヴィアダーナ:サクリ・コンチェントゥス/ザ・ヴィアダナ・コレクティヴ

新録音紹介

PAS-1142(ジャケット画像には輸入代理店のキングインターナショナルHPへのリンク)

ロドヴィコ・グロッシ・ダ・ヴィアダーナ(c.1560-1627):
サクリ・コンチェントゥス

マクシミリアン・ブリッソン(指揮)
ヴィアダーナ・コレクティヴ
スージー・ルブラン(ソプラノ)ヴィッキ・サン・ピエール(コントラルト)
チャールズ・ダニエルズ(テノール)、ロランド・ファウスト(バス)
ブルース・ディッキー(コルネット)
アンナ・ノエル・アムシュテュツ(ヴァイオリン)
キャサリン・モツズ(テノール・トロンボーン)
マクシミリアン・ブリソン(テノール&バス・トロンボーン)
イアソン・マルマラス(オルガン)
クリストフ・ゴーティエ(オルガン)

録音:2023年5月27-30日/イタリア、マントヴァ、聖バルバラ宮廷礼拝堂


 
 モンテヴェルディから古楽に入ったクチである。贔屓目でみたいのだ。ルネサンスからバロックへと音楽の時代を切り開いたのは、モンテヴェルディのおかげにしたいのだ。1600年に上演された「オルフェオ」、1610年に出版された「聖母マリアの夕べの祈り」というエポックメイキングな2作品によって、モンテヴェルディが音楽史におけるバロック時代の幕開けをしたことは疑いないが、古楽に触れるにつれ、それがモンテヴェルディという音楽史上の大天才が一人で成し遂げたこととは言えなくなる。
 たしかに「オルフェオ」は、後に高度に形式化していくオペラの先駆として偉大なものであるし、「聖母マリアの夕べの祈り」は、ミサ曲とカップリングされたことにより、モンテヴェルディ自身が新旧どちらの音楽スタイルでも傑作を書くことができる能力を示した。「ルネサンス音楽最後の巨匠にして、バロック音楽最初の大作曲家」というモンテヴェルディへの美辞麗句は、私も事あるごとに用いてきたし、疑いないものだと思うが、モンテヴェルディという大天才ただ一人の偉業というわけではないこともまた疑いない。そんなモンテヴェルディの影響力に隠れ、新しい時代の音楽を推進した一人としてヴィアダーナが挙げられる。


 ヴィアダーナの足跡
 今回取り上げる新録音は、ロドヴィコ・グロッシ・ダ・ヴィアダーナの作品集である。ヴィアダーナとはいったいどのような作曲家なのか。まずはブックレットを参照にながら、ヴィアダーナについて触れてみたい。  
 ロドヴィコ・グロッシ・ダ・ヴィアダーナは、1560年頃に現在のイタリア、ロンバルディア州マントヴァ県のヴィアダーナに生まれる。この出身地からヴィアダーナと呼ばれることが多い。レオナルド・ダ・ヴィンチがダ・ヴィンチと呼ばれることが多いのと同様のことだ。
 青年期の記録がほとんど残っていないようだが、1594年までにはマントヴァのサン・ピエトロ大聖堂の音楽監督であるマエストロ・ディ・カペラに就任しており、1600年ごろまでその地位にあった。その頃に、ローマを何度か訪れ、オルガンと声の混合したポリフォニー演奏に触れているという。この影響下で、少ない声部と通奏低音のための作品を作曲するようになる。1602年頃、ヴェネツィアで「100の教会コンチェルト」を出版。この曲集は、バス・パートに通奏低音用の数字が付けられた最初期のものとされている。1602年からは、クレモナのサン・ルカ修道院のマエストロ・ディ・カペラ、1608年からはコンコルディア大聖堂、ファーノ大聖堂の同役職に就任と、次々と重要な役職に就いた。
 少なくとも1617年までには、ボローニャのフランシスコ会士となり、グァルティエリのサンタンドレア修道院の修道士になったという。1627年に死去するまで生涯修道士だった。


 ヴィアダーナの影響力
 前述した「100の教会コンチェルト」において通奏低音の数字が記載したことからも、17世紀初頭の早い段階でバロック音楽の特徴的な様式を示したヴィアダーナの作品は、次世代の音楽に大きな影響を与えた。
 1614年には、ヴェネツィアで「独唱のための100のコンチェルト」を出版。これはモノディ様式の独唱曲で、まさにバロックの「新しい様式」による作品集だった。これは1615年にドイツのフランクフルトでも「独唱のための100の教会コンチェルト」として出版された。
 ヴィアダーナのモノディは初期バロックの完成された様式であるという。言葉が豊かに彩られ、語るようなリズムの使用は効果的で、高度に技巧的な声楽書法が用いられ、大胆な半音階も用いているという。
 ヴェネツィアで出版された「独唱のための100のコンチェルト」は大戦時に深刻な被害を被り、通奏低音のみが残されたが、それも多くは表面が焼け、欠落してしまったが、1615年のフランクフルト出版譜は2部が完全な形で残っていたため、ヴィアダーナの作品が現存することになったという。この曲集は、その後のドイツで大流行する「教会コンツェルト」の直接的なモデルであり、シャイトやシュッツ、ブクステフーデ、バッハ一族、そして大バッハへと続く17~18世紀のドイツの教会音楽への影響力は絶大だったのだ。イタリア音楽のドイツの教会音楽への影響については、シュッツを通したモンテヴェルディの功績が大きく取り上げられるが、ヴィアダーナの功績も大きく、むしろ直接的な影響力を持っていたのはヴィアダーナの方だったであろう。


 知られざる巨匠ヴィアダーナ
 楽譜上に通奏低音の数字を記載し、モノディというジャンルを広めたという、音楽史上でも非常に重要な役割を果たしている作曲家にも関わらず、一般的にその作品が知られていないというのはどうしたことだろうか。私自身、ヴィアダーナと聴いても名前を知っているくらいでその音楽を思い出すことはできなかったので、気になってこれまでの録音を海外のCDサイトで調べてみた。すると1990年代からまとまった録音はあるものの、STRADIVARIUSやTACTUSといった古楽に強い老舗のイタリアの独立系レーベルからの発売のみであった。ヴィアダーナの作品が取り上げられることはあるようだが、モンテヴェルディを中心とした曲集の一部とか17世紀のマントヴァやヴェネツィアの音楽というような企画に数曲取り上げられることがせいぜいであった。ヴィアダーナには、教会音楽だけでなく、カンツォネッタ集のような世俗音楽や、「シンフォニエ・ムジカーリ」という1610年にヴェネツィアで出版された器楽曲集まであるにも関わらず、このまとまった録音の少なさは不当な扱いと言わざるを得ない。今回の新録音が如何に貴重なものかは、この事実だけからも明らかだ。


 収録曲について
 このアルバムの収録曲は、主にヴィアダーナの1615年にフランクフルトで出版された「独唱のための100の教会コンチェルト」から作品が選ばれている。基本的に独唱とオルガンという編成で演奏されているが、ソプラノとオルガン(トラック9&19)、アルトとオルガン(5&14)、テノールとオルガン(16と22)、バスとオルガン(3と7)と4声に2曲ずつ均等に割り当てられているだけでなく、ヴァイオリンとオルガン(6)、2つのトロンボーンとオルガン(18)、コルネットとオルガン(21)と器楽による演奏も収録されているところが面白い。声楽部はモンテヴェルディのモノディ相当の技巧性を要求され、歌手の声楽テクニックの見せ場となるだけでなく、楽器のテクニックの見せ場にもなっている。モンテヴェルディがマントヴァに仕え始めたのが1590年なので、ヴィアダーナとともにマントヴァ宮廷の音楽を担っていたのは間違いない。お互いへの影響もあったであろう。マントヴァは新時代の音楽の発信地だったのである。
 このアルバムには、「独唱のための100の教会コンチェルト」以外からもヴィアダーナの作品が取り上げられている。トラック1と8は、アブラハム・シャデウスが編纂した『プロンプトゥアリー・ムジチ』(第1部1611年、第3部1613年出版より)から楽曲で、どちらも8声部で、ガブリエーリを思わせる複合唱形式のポリフォニーなことから、コンチェルトよりも初期に作曲されたものと推測できる。トラック4は器楽曲集『シンフォニエ・ムジカーリ』(1610年ヴェネツィアで出版)からの「ラ・ベルガマスカ」。ここではコルネット、ヴァイオリン、トロンボーン、オルガンで奏でられている。13と15は1609年ヴェネツィアで出版された『レスポンソリウム集』からで、4声のシンプルなポリフォニー。23は1607年ヴェネツィアで出版された「レタニア(連禱)」で6声のシンプルなポリフォニー。24は大バッハも参照していたというボーデンシャッツ編纂の『フロリレギウム・ポルテンゼ』(1621年ライプツィヒで出版 第2部)に収められたヴィアダーナの8声のポリフォニー。これに加えて、トロンボーンとオルガンで演奏される、ラッススの「スザンナはある日」に基づくフランチェスコ・ロニョーニによるディミニューション、トーマス・シャッテンベルク(1580-1622)によるポリフォニー「おお、いと優しきイエス」、オルガン奏者イアソン・マルマラスによる即興が収録されている。これらの楽曲が、「主の降誕」「馬車と御者」「スザンナ」「キリストの受難」「キリストの体」「聖なるマリア」「永遠に」というセクションに分けられ、プログラムされているという実に凝った構成となっている。
 ルネサンス的ポリフォニーから初期バロックのモノディ様式の音楽、通奏低音付の声楽と器楽が入り混じるポリフォニー。まさにルネサンスとバロックの様式の架け橋といったヴィアダーナの作品を存分に知ることのできる内容となっている。


 豪華なる歌手と演奏者!
 演奏のマキシミリアン・ブリソン率いるザ・ヴィアダーナ・コレクティヴはおそらくこの録音のために編成されたグループ。なんといっても声楽陣に、ソプラノのスージー・ルブラン、テノールのチャールズ・ダニエルズがいることが古楽ファンには驚きだろう。
 カナダの古楽の歌姫として人気を博したスージー・ルブランは、ATMAレーベルを中心に数多くの名盤を残している。エマ・カークビーの系譜に連なる美声とテクニック、そして天性のセンスの持ち主だ。1990年代以降の古楽の名録音には欠かせないチャールズ・ダニエルズは、イギリスの名テノール。また、コルネットはなんと、生きる伝説、コンチェルト・パラティーノのブルース・ディッキー。スージー・ルブランはトラック19での美しい歌唱、チャールズ・ダニエルズは16での高い技巧性、ブルース・ディッキーは21での装飾のセンスがすごい。この3人が参加し、健在ぶりを示している点だけでも、古くからの古楽ファンは驚喜となるに違いない。もちろん3人以外の歌手、奏者もかなりの実力が集っているので、全体の演奏は極上だ。


 録音場所について
 録音はヴィアダーナゆかりのマントヴァの聖バルバラ宮廷礼拝堂。パレストリーナと親交のあった時のマントヴァ公グリエルモ・ゴンザーガが、礼拝堂に音楽響き渡るようにと音響にまでこだわって作らせたという。一説によれば、モンテヴェルディの『聖母マリアの夕べの祈り』が初演されたともされている。少なくともモンテヴェルディの音楽がこの礼拝堂に響き渡ったことは間違いない。 


 聖バルバラ宮廷礼拝堂の歴史的オルガン
 また、この礼拝堂のオルガンは、グラツィアディオ・アンテニャーテ(1525-1590)ィというブレシアのオルガン製作者によって1565年に製作された。アンテニャーティ家は少なくとも15世紀からオルガン製作を担っている一族で、グラツィアディオが活躍した16世紀にはすでに高い名声を誇っていたという。音響にこだわったグリエルモ・ゴンザーガの理想に応えるため、かなり凝った作りになっていたようで、異なる2種の調律で演奏できたという。ヴィアダーナはもちろん、グリエルモ・ゴンザーガと親交のあったパレストリーナをはじめ、ジャケス・デ・ヴェルト、ルカ・マレンツィオ、そしてクラウディオ・モンテヴェルディという音楽史上の錚々たる作曲家がこのオルガンを弾いているという音楽史的にも貴重なオルガンなのである。
 17世紀以降、様々な改造がされていたが、2006年にオリジナルの響きを取り戻すべく復元されたという。このアルバムに収録されたオルガン独奏曲(トラック9、12、17)でもその独特の響きを聴くことができる。

グラツィアディオ・アンテニャーティの肖像

 ジャケットについて
 ジャケット画は、オルガンのファサードに描かれた絵画。礼拝堂の名前にも冠されている聖バルバラと、聖ペテロが描かれている。またこの扉を開くとオルガンのパイプが現れ、扉の見開きには、受胎告知の天使と聖母マリアが描かれている。これを描いたのは、フェルミ・ギゾーニ・ダ・カラヴァッジョ(1505-1575)。カラヴァッジョの名で知られるバロック絵画の大巨匠ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571-1610)と同じロンバルディア州ベルガモ県にあるカラヴァッジョ出身。マントヴァで活躍したロレンツォ・コスタ(1460-1535)の工房で学んだあと、ラファエロの最も重要な弟子でマントヴァで元素王的なマニエリスム芸術を開花させていたジュリオ・ロマーノ(1499-1546)の助手となった。フェデリーコ・ゴンザーガの命を受け、ジュリオ・ロマーノが設計・建築・装飾を手掛けたマニエリスムの代表的建築であるマントヴァの「パラッツォ・デル・テ」(テ宮殿)の装飾にも関わり、有名な「巨人の間」の壁画にも彼の手が入っているという。彼の画風は、師匠のジュリオ・ロマーノのマニエリスム色濃い様式よりも古典的と評されている。この「受胎告知」を見ても、幻想性ある色彩こそマニエリスム的だが、静的な人物の表現は盛期ルネサンス様式に近いようだ。なんにせよ、当時のマントヴァで最高峰の画家の絵画がオルガンにも描かれているのだから、ゴンザーカ家のこの礼拝堂への注力の度合いが窺い知れるだろう。

聖バルバラ宮廷礼拝堂の歴史的オルガン

 下記のURLからはこのアルバムのプロモーションビデオを見ることができる。録音の様子も一部収録されている。3分半ほどの映像ながら、礼拝堂の構造を利用した録音配置なども見ることができる興味深いものだ。
 古の空間に響くヴィアダーナの音楽はモンテヴェルディと並ぶイタリア・バロックの幕開けの音がする。古楽ファンは聴き逃せないアルバムだろう。

 礼拝堂の構造がもたらすモンテヴェルディ『聖母マリアの夕べの祈り』への影響を考える
 このCDの録音場所であるマントヴァの聖バルバラ宮廷礼拝堂は、ヴィアダーナだけでなく、モンテヴェルディも活躍した場所であり、上記で触れたように『聖母マリアの夕べの祈り』が初演された可能性も指摘されている。これには異論が多いので、確定された説ではないが、上記の動画内のこのCDの録音風景を見るに、『聖母マリアの夕べの祈り』の作曲に当たって、この礼拝堂の建築構造の影響は大きいと思われる。詩篇曲での複合合唱の扱い方、声楽と器楽の融合具合、「Nigra sum」「Audi Coelum」でのエコー効果など、この礼拝堂の構造や立体的音響が活かされているように思える。いずれにせよ、モンテヴェルディがこの場で作曲のアイデアをひらめいたと考えるだけでもエキサイティングなことだ。

いいなと思ったら応援しよう!