器楽による情動の劇場~カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ:ハンブルク交響曲とファンタジア集/アルテ・デイ・スオナトーリ
新録音紹介
内容詳細
C.P.E.バッハ:6つのシンフォニア『ハンブルク交響曲』とファンタジア集
●シンフォニア第5番 ロ短調 Wq.182-5(H.661)[Ⅰ.アレグレット / Ⅱ.ラルゲット / Ⅲ.プレスト]*
●ファンタジア ハ短調~ソナタ ヘ短調 Wq.63-6(H.75)よりフィナーレ*
●シンフォニア第3番 ハ長調 Wq.182-3(H.659)[Ⅰ.アレグロ・アッサイ* / Ⅱ.アダージョ*† / Ⅲ.アレグレット*]
●ファンタジア ヘ長調 Wq.59-5(H.279)†
●シンフォニア第2番 変ロ長調 Wq.182-2(H.658)[Ⅰ.アレグロ・ディ・モルト* / Ⅱ.ポコ・アダージョ / Ⅲ.プレスト†]
●シンフォニア第4番 イ長調 Wq.182-4(H.660)[Ⅰ.アレグロ・ディ・モルト / Ⅱ. ラルゴ・エド・イノチェンテメンテ / Ⅲ.アレグロ・アッサイ]†
●ファンタジア(即興)*
●シンフォニア第6番 ホ長調 Wq.182-6(H.662)[Ⅰ.アレグロ・ディ・モルト / Ⅱ.ポコ・アンダンテ / Ⅲ.アレグロ・スピリトゥオーソ]†
●ファンタジア ト短調 Wq.117-13(H.225)*
●シンフォニア第1番 ト長調 Wq.182-1(H.657)[Ⅰ.アレグロ・ディ・モルト / Ⅱ.ポコ・アダージョ / Ⅲ.プレスト]†
マルツィン・シヴィオントキエヴィチ
(チェンバロ*、フォルテピアノ†、指揮)
アルテ・デイ・スオナトーリ
セッション録音:2022年8月7~10日/ポーランド放送ルトスワフスキ・スタジオ(ワルシャワ)
クラシック音楽のCDにおいて、なぜか同じ曲が同時期に異なる指揮者や演奏家によっていくつか立て続けにリリースされることがある。これには、作曲家の生誕や没後の記念の年であるとか、校訂譜が出版されたとか、様々な理由が考えられるのであるが、なかには本当に偶然としか考えられないこともある。これまでの経験上、特に古楽では、その例が多いように思えるのである。同じ曲を異なるコンセプト、異なるアプローチで演奏されているとその曲を多角的にとらえることができ、曲への理解度が一気に深まるのだが、出費が重なってしまうのでうれしい悲鳴になったことがこの25年で何度もあった。
その例が2024年にもあった。カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの交響曲のリリースが続いたのだ。Akamusのリリースに続いて、飛び込んできたのがこのアルバムだった。
ドイツのピリオド楽器オーケストラが「エマヌエル・ルネサンス」(20世紀末から始まった様々なジャンルに渡るエマヌエル作品のリリースが続出し、一般の音楽ファンにまで広まったことを私がそのように勝手に名付けているいるだけであるが、)において大きな役割を果たしたことは間違いが、イギリスやオランダなどその他の西欧諸国でも様々なすばらしい録音が出ていた。例えば、イギリスではグスタフ・レオンハルトが1980年代末に、オーケストラ・オブ・ジ・エイジ・オブ・エンライトゥンメント(略称はOAE、日本語では、「啓蒙主義時代管弦楽団」とも)を指揮した交響曲とチェロ協奏曲の録音(VIRGIN)があり、チェロはアンナー・ビルスマとの巨匠の共演だった。レオンハルト自身は、古くはコレギウム・アウレウムのバッハ親子の協奏曲を録音しているし、オランダで80年代初頭にバッハのチェンバロ協奏曲第1番のカップリングとして、チェンバロ協奏曲を録音している(SEON これが、ファンタジックですばらしい録音!)。オランダではまた、1980年代初頭からボブ・ファン・アスペレンはチェンバロ協奏曲集(EMI,VIRGIN)を録音していた。このように、エマヌエル・ルネサンスはドイツ、イギリス、オランダなど、いわゆる古楽復興の中心的役割を果たしてきた国々中心と見なされがちだが、実はまた東欧諸国でもかなり早い段階からエマヌエル・ルネサンスは進んでいた。ハンガリーでは、ペーター・スツ率いるコンチェルト・アルモニコ・ブダペストがミクローシュ・シュパーニとチェンバロ協奏曲を、バラーシュ・マーテーとチェロ協奏曲を録音(HUNGAROTON)を残し、またそのシュパーニが、1990年代半ばにエマヌエルの鍵盤協奏曲、鍵盤独奏曲全集という画期的な企画をBISレーベルで開始。これはエマヌエル・ルネサンスにおいてもかなり早い時期の録音に当たる。またポーランドにおいても、コンチェルト・ポラッコ、コレギウム・ムジケ・アンティクェ・ヴァルソヴィエンシス(BNL)などによる録音が2000年代にはリリースされていた。日本ではほとんど知られることなかったが、これはすばらしい演奏だった。
さて、BISではすでにシュパーニによる偉大な鍵盤独奏&協奏曲全集が完成しており、そのカタログにはエマヌエルの作品も数多くくれじっとされているのであるが、これまでとはまた異なるコンセプトのエマヌエルのアルバムが登場した。それがこのアルバム、ポーランドの気鋭の鍵盤奏者マルツィン・シヴィオントキエヴィチとポーランドのピリオド楽器アンサンブル、アルテ・デイ・スオナトーリによるハンブルク交響曲集なのである。
シヴィオントキエヴィチは、ポーランド出身の鍵盤奏者。レイチェル・ポッジャーのブレコン・バロックの中心メンバーであり、ポーランドのいくつかの古楽アンサンブルへ参加するなどの通奏低音奏者としてだけでなく、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」(RUBICON)、「チェンバロ協奏曲集」(CHANNEL CLASSICS)をリリースする独奏者としても世界的に高く評価される名手である。
アルテ・デイ・スオナトーリは、1993年に結成されたピリオド楽器アンサンブル。2002年に天才リコーダー奏者ダン・ラウリンとテレマンの「序曲と3つの協奏曲」(BIS)で録音デビューとなり、2003年にレイチェル・ポッジャーと録音したヴィヴァルディの「ラ・ストラヴァガンツァ」(CHANNEL CLASSICS )で、世界的な注目を浴びた。この録音は国際的評価も高く、日本でも大ヒットしたのでよく知られていると思うが、他にも、マルタン・ジェステルやアレクシス・コセンコら優れたピリオド楽器奏者と共演し、数多くの録音を残している、ポーランドを代表するピリオド・グループである。エマヌエルの注目すべき録音がまたポーランドから生まれたのである。
ハンブルク交響曲はまぎれもないエマヌエルの最高傑作と語るシヴィオントキエヴィチ。アルテ・デイ・スオナトーリとは最初の録音であるミューテルの鍵盤協奏曲集録音時から、エマヌエルの作品の演奏の構想はあり、コンサートを通じて曲への理解を深め、録音に至ったようだ。
このアルバムは、"instrumental theatre of affects"と題され、エマヌエルの6曲のハンブルク交響曲と鍵盤幻想曲から構成されている。これまでのエマヌエルと比較しても画期的なのは、ハンブルク交響曲と鍵盤独奏曲という関連性が指摘されてきた作品が同時に収録されている点である。
ハンブルク交響曲は、1773年から76年にかけて、ゴットフリート・ファン・スヴィーテン男爵からの依頼により、作曲された。スヴィーテン男爵からは「何の制約もなく、自由に」作曲するように求められたというエマヌエルは、自身最も個性的な作品を作りあげていた鍵盤独奏曲、特に「自由なファンタジア(freie fantasie)の作曲理念を交響曲に拡大したようだ。シヴィオントキエヴィチは、エマヌエルの鍵盤ファンタジアには、強い情動が表されており、それはオペラ近いものだと語っているが、まさにその通りで、数分の作品は様々な感情表現で満たされ、聴き手の情動を目まぐるしく揺さぶる。この特徴は、そのままハンブルク交響曲にも当てはまるのである。ゆえにハンブルク交響曲に鍵盤独奏ファンタジアをカップリングすることは理にかなったことなのだ。いままでほとんど試みられなかったことが不思議でさえある。
鍵盤ファンタジアの自由な作曲技法をオーケストラ曲に用いたハンブルク交響曲は室内楽的要素もあることから、シヴィオントキエヴィチとアルテ・デイ・スオナトーリは、弦楽器3-3-1-1-1という小編成で臨んでいる。当時のハンブルク交響曲の楽譜のチェロ・パートには通奏低音の数字が印刷されていなかったことから、20世紀初頭には弦楽四重奏として出版されたというが、この演奏でも「拡張された弦楽四重奏」ととらえているようだ。
その室内楽的な小編成によってアンサンブルは高い機動力を持ち、かなり早めのテンポが設定されている。比較的大きな編成を取っているAkamusの演奏とと比べると、不協和音の響かせ方やアーティキュレーションの切れ味は穏やかながら、その機動力による繊細な表現が特徴で、特に細かく変化させるフレージングがすごい。頻繁に入れ替わる調性によって目まぐるしく変化する情動表現の機微が、この細やかさゆえに際立つのである。エマヌエル作品が持つ変化に富んだ情感を、Akamusの演奏がその圧倒的合奏能力の圧力で大胆に描き出しているとすれば、アルテ・デイ・スオナトーリは室内楽的機動力で微に入り細を穿って描き出しているのだ。
またこの演奏は、鍵盤の主張がかなり強い。先述したように、ハンブルク交響曲には通奏低音の明確な指示はないのだが、ここではチェンバロとフォルテピアノを曲ごと、また楽章ごとに使い分け、時にはどちらも弾き分け(トラック6)、時にはあえて加えず(トラック10)、楽器の響きを生かしたアーティキュレーションも伴って、場面場面での情動の個性がより強調されることになるのだ。小編成であることと優れた鍵盤奏者であるシヴィオントキエヴィチが音楽監督であるがゆえの特徴だろう。エマヌエルの先の読めない展開をよりスリリングにしているのは、シヴィオントキエヴィチの自由な発想で加えられた鍵盤演奏なのだ。
プログラム構成にもこだわりが見られる。6曲のハンブルク交響曲は曲集の番号順にこだわることなく収録されており、交響曲の調性にあわせるように鍵盤独奏曲であるファンタジアが挿入されている。アルバムを通して聴くと、鍵盤独奏のファンタジアが交響曲と交響曲に橋渡しとしての役割を果たしていることが分かる。収録順も実に考え抜かれている。
Akamusのアルバムとは、4曲が重なる。先述したように演奏コンセプトが異なり、受け取る印象も相当違ったものになるので、演奏を聴き比べると、ハンブルク交響曲の個性を多角的にとらえられるようになること間違いなし。エマヌエル作品の奥の深さを知るためには、この二つの新しいアルバムは最高の材料となることだろう。エマヌエルのハンブルク交響曲を聴いて、ぜひ自らの情動の変化を楽しんでほしい。
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