赤い花 第一部


 外は季節の変わりを告げるように強い風が吹いていた。室内は、明るさを少し抑えた蛍光灯の明かりの下、消毒薬の匂いが少し鼻についた。

 ミキは、病名を告げられた時のことをはっきりと思い出せない。閉め切った窓が揺れていたことがぼんやりと頭に残っているくらいだった。

「あと、どれくらい生きられますか。」

 沈黙を破って発した声は上ずってしまった。

 平均五年生存率をまず聞かされた。そして治療方針や今後のことを話した。先生は丁寧にしっかりと力強く説明を続けている。

 説明を聞きながら、事実を認めたくない感情が溢れてきた。一つひとつの言葉を理解していくたびに心が恐怖に満たされていく感覚を覚えた。

 隣に立っていた看護師が肩に手を置いてくれて初めて、ミキは自分が震えていたことに気付いた。肩から伝わる優しさのお陰で少し落ち着くことができた。

 病院での精算を終え、窓口の事務員からの「お大事にどうぞ」という、ありきたりの言葉とレシートを受け取って、ゆっくりと外に出た。

 陽の光を頬に感じながら、電車に揺られて家路を辿る。途中で見た赤色の花の名前はなんだろう。その明るい色は記憶に残ったが、名前が分からず、また少しだけミキの膝に痛みが戻ってきた。

「おかえり。お医者さん何だって?」

 ミキが部屋に帰ると同居人のサトルがソファで横になった体を起こしながら出迎えてくれた。読みかけの雑誌がサイドテーブルに置いてある。

「う~ん。お腹空いてない?買い物してきたから先にお料理つくるよ。」

「そお…。何か手伝おうか?」

「いいって。明日からまた、出張でしょ。横になってゆっくりしていて。あー私って出来た彼女。」

「自分で言うか、それぇ。」 

 二人でクスクス笑いながら、ミキは支度を始めた。

 ニンジンとジャガイモをジグザクに切り、玉ねぎを縦に刻む。軽くフライパンで炒めてから、それを鶏のモモ肉と一緒に水の張った鍋に入れ、沸騰させる。余っていたシチューのルーを入れながら煮込んで、最後に火を止めてから豆乳でコクを出す。料理のレパートリーは多く無いけれど、心を込めて毎回作っている。

 サトルは不満も言わずに、たくさん食べてくれる。ちょっとしたことだけど、ミキはいつもそんなサトルの姿を見ては嬉しい気持ちになっていた。

「なあ。病院どうだったんだよ。」

 いつかは言わなければいけないが、ミキの踏ん切りはつかない。はっきりしないミキの態度にサトルは苛立ちはじめ、微妙な雰囲気と静けさに包まれた。

「結婚しようよ。」

 サトルが唐突に口を開いた。

 結婚自体は、決して突然ではなかった。元々結婚することを前提に一緒に暮らし始めたわけだから、お互い、きっかけとなる何かがあればと考えていたと思う。ミキも結婚したいと思っていた。

「サトル。ありがとう。とっても嬉しいよ。でも…」

 それ以上、もうミキの声は言葉にならなかった。大粒の涙がこぼれ、嗚咽を漏らしながら泣いている。悲しいわけでもないのに。

―ねえ神様、私はあとどれくらい生きられますか?―

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