後悔しよう

「どんなに素晴らしい庭を持ったところで隣の芝は青く見えるし、何をしても、あるいはしなくても、後悔はする」そう思って生きています。

なんで後悔するのかって考えれば、欲があるから。
こうなりたい、こうしたい。そうならなかったから後悔する。
じゃあ、後悔しないためにはどうすればいいか。
言葉にするのは簡単で、欲を持たなければいい。
期待せず、理想を持たず、流れるままに流れて、至った結果をただ受け入れる。そうすれば、後悔はない。ただ、それで幸せですか?ってだけ。

いやいや、そうじゃなくて、啓発本でいうところの「後悔をしないで、反省しようぜって意味。ちゃんと次に活きるようにしようぜ」だとするなら、それこそ、くそくらえだと思っていて。
いいこと書いてる風に見えて、反省ってやつは過去の自分の否定ですよ。
「何かをした、あるいはしなかったから失敗した。だから次はこうする」
失敗を過去の自分に押し付けて、失敗の原因を決めつけて、わかったようなふりをする。次その選択をしたからと言って、うまくいく保証はどこにもないのに。
反省なんて物は「明確に原因がわかっていて、こうすれば確実にうまくいく」というとき以外、すべきでない。でないとむやみやたらに自信を失いますよ、たぶん。

最後にどうしたって後悔しかできないものってあると思うんだよね。あるいは後悔すらできないもの。
例えば、「部活の引退大会の前日に事故にあって、大会に出られなかった」
何を教訓にすればいいんですか。道を歩かないですか。
じゃあ、これを後悔せずにスパッと仕方がないと割り切れますか。

きっと人生なんて、こんなものの連続で、だから最期に「自分がなりたかったものにはなれなかったし、ほしいものも手に入らなかった。こんな予定もなかったし、大方、自分の思ったとおりの生き方じゃなかったけど、まぁ、こんなもんだ」って思えたら、少しは報われるんじゃないの。
こう思うために、いっぱい後悔しようや。
いろいろ引きずって生きていこう。

たぶんいっぱい反省してきた人間の最期は「こんなはずじゃなかった。次はこうしよう」って来世に期待していくから。それって地獄じゃない??

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?