HR/HMの重鎮、NWOBHMの先駆者。アイアン・メイデンの記念すべきファースト・シングル

ポール・ディアノのパンク・ロックに影響を受けたボーカル。
あくまで演奏をリードするスティーヴのベース。
そして、ツイン・リードギターと初期メイデンの様式美は既にここで完成している。

NWOBHMの黎明期からシーンの牽引力として同時期の代表格バンドとなった彼らの、圧巻のライブパフォーマンスをご覧頂きたい。


-ポール・ディアノ在籍期のアイアン・メイデン・ヒストリー------

1975年(1976年と記述されている資料もある)、ロンドンでスティーヴ・ハリス (B) が中心となり結成される。

結成当初は頻繁にメンバーチェンジを繰り返していたが、1978年にポール・ディアノ (Vo) 、デイヴ・マーレイ (G) 、ドウグ・サンプソン (Dr) が加入することで、メンバーが安定。このメンバーで、最初のデモテープを録音する。

1979年、二人目のギタリストとしてトニー・パーソンズを迎え、12月にメジャーレーベルEMIと契約する。メジャー契約後すぐに、健康上の理由でドウグが脱退し、トニーも同時に脱退するも、クライヴ・バー (Dr) 、デニス・ストラットン (G) が加入する。

1980年1月に1stシングル「ランニング・フリー - Running Free - 」を、4月に1stアルバム『鋼鉄の処女 - Iron Maiden - 』をリリース。その後、デニス・ストラットン (G) に変わりエイドリアン・スミス (G) が加入。

1981年、2ndアルバム『キラーズ - Killers - 』発表後、ヴォーカルのポール・ディアノが脱退。後任としてサムソンのブルース・ディッキンソンを迎える

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