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今もまだそこにある奇跡の軌跡

田んぼばかりが目立つ田舎町を見下ろす小高い丘の上に、1人の青年がボンヤリと立っていた。

「いない……か」

寂しいとか、悲しいとか、そんな風情ではなく、元から覚悟していたような、諦めにも似た表情で「そりゃ、いるわけないよな」と、青年はもう一度呟く。

まだ少し肌寒さの残る3月下旬。

風通しの良い丘の上に立つ青年を嘲笑うかのように、空気の疾走が彼の頬を撫でては、逃げるように通り過ぎていく。

目的を果たす事の出来なかった青年は、しかし、その場を去る事も出来ず、丘の上に立つ一本の木にもたれ掛かると、そのままズルズルと腰を下ろした。






桐ケ谷(きりがや) 春人(はると)は、子供の頃に親の都合で10日間だけ住んでいた田舎町に足を運んでいた。

都会で生まれ育った春人は、馴染みの無い田舎の土地で同年代の子供たちに溶け込めず、孤立していた。
だが、しかし、一生をその田舎町で暮らす訳ではない。
「どうせ一時的なもんだ」と、春人は早々に交流を諦め、他の子供たちが走り回り遊ぶのを尻目に、誰もいない丘の上に逃げるように移動して、そこでボンヤリと時を過ごしていた。

突如、ふわりと顔を包まれる感触がして視界が遮られる。

「だぁーれだ?」

頭のすぐ後ろから、可愛らしい女の子の声が鈴のように鳴り、耳へと届く。
ほのかに良い香りがして、自分の背後に誰かがいる事を分からせてくれる。

だが、春人にとって、誰だもクソもない。
この田舎町で名前を答えられるような相手はいないのだ。

「知らないよ。手をどけてよ」

少し乱暴な口調でそう言うと、視界を妨げていた柔らかくて温かいモノがふわりと離れていく。
同時に良い香りも遠ざかっていき、春人は少しだけ寂しいような感覚を覚えながらも、視界が戻った事に安堵して振り返った。

そこには、淡いピンク色のワンピースを着た、可愛らしい女の子が立っていた。

「ごめんね」

少女は少しも「ごめん」と感じさせない笑顔で舌をペロリと出してそう言った。

「ね? こんな所に1人でなにしてるの? 友達いないの? そうなの? んじゃあ、しょーがないなぁ。私が遊んであげる」

キラキラと瞳を輝かせて、捲(まく)し立てるように言葉を重ねる少女に、春人はため息をつくと、

「いいよ。僕、帰るから」

ぶっきらぼうに、そう告げると、背を向けて歩き始める。

「わー!! 待って!! 待って!!」

丘を降りるべく歩を進めていた春人を、慌てて追いかけてきた少女は、彼の腕を両手で掴み、逃がさないとばかりに力を込める。

「嘘、嘘!! 遊んであげる、とか、嘘だから!! 違うの!! ごめんなさい!! 私が遊んで欲しいの!! お願い!! 遊んで? ねぇ、ねぇ、ねぇ!!」

まるで駄々をこねるように懇願する少女に、春人は「えぇぇぇ」と、困惑の声を漏らす。

「……駄目?」

あくまで春人の腕を掴んで放さない少女であったが、難色を示した彼を前にして、先程の勢いは消え、御機嫌を伺うように弱々しく尋ねてくる。

どうせ今から帰ったところで、やる事はない。
「友達がいないなら、仕方ないから遊んであげるよ」という発言にムッとしたものの、少女が遊んでくれると言うのならば、願ったり叶ったりなのだ。

「分かったよ。じゃあ、一緒に遊ぼう」

春人は、仕返しとばかりに、なるべく「仕方がないなぁ」という態度で遊びの誘いを承諾する。
すると、途端に花が咲いたような笑みを浮かべた少女は、大はしゃぎで飛び跳ねて喜んだ。

「やった!! やったー!! ね? なにして遊ぶ? ねぇ、ねぇ、なにして遊ぶー?」

春人の周りをピョンピョンと飛び跳ねながら、嬉しそうに尋ねてくる少女に、しかし、春人は少し困ってしまう。
都会で育った春人は、田舎の子供が喜ぶような遊びを知らないのだ。
ましてや、異性である女の子が何をしたら喜んでくれるのか、見当もつかない彼は「うーん」と唸るしかなかった。

どんな遊びをすればいいのか真剣に悩んでいる春人を余所に、少女は彼が身に付けている、とある物に興味を示す。

「ね? それ、なぁに?」

少女が指差す先にあるのは、春人がベルト通しに引っかけている日本刀の形をしたキーホルダーであった。
『武器シリーズ』というガチャガチャで当てた物で、春人はこれを気に入っており常に身に付けているのである。

「ガチャガチャで当てたキーホルダーだよ」

春人が、そう答えると、少女はキラキラとした瞳をさらに輝かせて興味深そうに食い付いてくる。

「ガチャガチャ!? キーホルダー!? なに、それ!? ねぇ、ねぇ、なに、それ!?」

「え? 知らないの?」

いくら田舎と言えど駄菓子屋の店先にはガチャガチャがあったのを確認しているし、キーホルダーという存在が認知されていないとは思えない。
どうやら、この少女は、相当の世間知らずさんのようである。

「お金入れて回すんだよ。何が出るかはお楽しみ」

「そんなのあるの!? ね、ね、もっと詳しく教えて!!」

何をして遊べば目の前の女の子が喜んでくれるのか悩んでいた春人であったが、世間知らずなこの少女は、都会の生活を話すだけで「ほへー」とか「あわー」とか言いながら、瞳をキラキラと輝かせて楽しんでくれる。
春人が語る話の内容は大した事では無いのだが、少女の反応があまりにも面白くて、春人は夢中になって話し続けていた。

ふと、気が付くと、日が陰り始め、夜の帳(とばり)が下りようとしていた。

「いけない。僕、もう帰らないと」

日は陰り始めたら、瞬く間に沈んでしまう。
ましてや、都会ではない田舎町は外灯も少なく真っ暗やみになってしまうのだ。

「あっ、ねぇ……」

家路を辿ろうとする春人を、少女は慌てて呼び止める。

「……また、遊んでくれる?」

他の同年代の子供たちとは馴染めなかった春人にとって、時の過ぎるのも忘れて過ごしたこの少女と遊ばない手はない。

「うん、もちろんだよ。あっ、いまさらだけど僕は春人。君は?」

「桜。私は桜だよ」

「分かった。桜ちゃんだね。明日も遊ぼう」

「ホント!? やった、やった!! 明日も遊ぼう!! 明後日も遊ぼう!! 毎日遊ぼう!!」







田舎町で過ごす10日間という時間の中、春人は毎日、小高い丘の上で桜という少女と時を共にした。

いつも楽しそうに、嬉しそうに、満面の笑みを携えて、春人を出迎えてくれる桜に、春人もまた桜に会うのが楽しみになっていた。
春人は桜に都会の話を聞かせ、また逆に桜からは花の話や森の動物の話などを聞かせてもらった。

春人にとって、退屈で居心地の悪いまま終わるはずだった田舎の生活が、桜の存在のおかげで一気に楽しい生活へと彩られていった。
このまま、この田舎の町で暮らしても良いと思える程に、春人の生活は充実したものへと変化していた。
だから、どうしても、都会へと帰る日が来る事を桜に言い出せずにいた。

毎日が楽しかったのだ。
桜と過ごす時間がとても大切で、嬉しくて、それは、どうしようもない喜びだった。

だが、しかし、1つだけ春人には気にかかる事があった。
日に日に桜の元気が無くなっていくのだ。

初めて会った日は、馬鹿みたいに、はしゃいで飛び跳ねて、走り回っていた。

楽しそうな、嬉しそうな笑顔は変わらない。

しかし、桜はあまり走らなくなった。飛んだり跳ねたりしなくなった。

心配した春人が「桜ちゃん、どこか具合が悪いの?」と聞いても、桜は笑って「ううん。なんでもないよ? 大丈夫!!」としか答えない。

それでも、その言葉とは裏腹に、徐々に、だが確実に、桜は身体を動かさなくなっていった。







春人が都会へと帰る日の前日。

桜は、丘の上に立つ一本の木にもたれ掛かって座ったまま、ほとんど動こうとしなかった。
満開の花のようだった笑顔も、なんとなく弱々しく見える。

「具合が悪いの?」と聞いても「大丈夫」としか答えない桜に、春人は、もはや、その質問を投げかけなかった。

ただ、ひたすらに、いつも以上に楽しい話をする事に必死になっていた。

やがて、時間というものは無情にも過ぎていき、終わりの時がやってくる。

もう、日が傾き始めている。
これ以上いれば、真っ暗やみになってしまうだろう。

「僕……明日、元の町に帰るんだ」

春人は、ずっと言えなかった言葉を、なんとか絞り出して口にする。

「毎日遊ぼう」と、飛び跳ね、はしゃいでいた彼女なら「嫌だ、嫌だ」と地団駄を踏んでワガママを言い、騒ぎまくるのではないかと想像をしていた春人であったが、

「うん」

と、桜は少しだけ寂しそうにしながらも、弱々しく微笑んで、肯定の言葉を返した。

春人は、その桜の様子に、言葉では言い表せない不安感と、意味の分からない恐怖心がわき出てきたが、それを必死に振り払う。
勢いよくバッと立ち上がると、なるべく明るい笑顔を作って、腰のベルト通しに引っかけているキーホルダーを外した。

「これ、あげるよ」

「え? でも、それって、春人くんのお気に入りなんでしょ?」

「いいよ。……ううん、だからこそ、桜ちゃんにあげる!!」

ギャハハと嘘くさい程に豪快に笑ってみせると、春人は日本刀の形をしているそのキーホルダーを桜の手に握らせる。

「ありがとう」

桜は、半ば強制的に握らさせられたキーホルダーを、じっと見つめてから、もう一度握り直して、その手を胸の前で合わせる。

「明日、町を出る前に、ちゃんと挨拶しに来るから!!」

最後にそれだけ言うと春人は振り返って走り出す。
桜の返事は聞かなかった。
聞いてはいけない気がした。
とにかく、無我夢中で春人は走った。







都会へ帰る日の当日。

いつもの慣れ親しんだ小高い丘の上に、桜はいなかった。

丘の上を端から端まで探しても、彼女はどこにもいなかった。

桜は、徐々に徐々に身体を動かさなくなっていった。否、動かせなくなっていったのだろう。
もしかしたら、もう、丘の上に来る事すら出来なくなってしまっているのかもしれない。

だったら、彼女の家まで行こう。
やっぱり、どうしても出発前に挨拶だけはしておきたい。
そう考えた春人は、しかし、はたと気付く。

桜と会う時は、必ず、この丘の上だった。
ここに来れば彼女に会えた。
だから、春人は、桜の家の場所を知らなかった。

春人は急いで丘を降りると、最後まで溶け込む事の出来なかった同年代の子供たちに、そんな事は関係ないとばかりに話しかけ、桜の家の場所を聞こうとした。

だが、しかし、返ってきた答えは「桜なんて女の子は知らない」というものであった。

逆に苗字を聞かれて、そして、桜の苗字を知らない事に気付かされた。






そうして、春人は、最後の日に、桜と会う事はなく、10日間を過ごした田舎町を後にする事となった。

いつも桜と過ごした丘の上には、彼女と出会ったあの日は満開だった一本の木が、今は、もう、すっかりと散ってしまっていた。







あれから、10年以上の時が流れて、すっかりと大人になった春人は、都会の喧騒にもまれ、忙しい仕事の日々に飲まれ、かつて過ごした田舎の町での生活を、桜と過ごしたあの時間を忘れかけてしまっていた頃、なぜか、ふと、思い出し、そして、こうして再び丘の上にやって来たのであった。

もちろん、そこに彼女がいるとは思っていなかった。
思ってはいなかったが、心のどこかで期待していたのかもしれない。

春人は、ひとつ大きく深呼吸をすると、背を預けていた木から身体を起こして立ち上がる。

「……帰るか」

ボソリと、誰に言うでもなく呟くと、丘を降りるべく歩きだして、ふと立ち止まり、先程までもたれ掛かっていた木を振り返る。


そこには、立派な桜の木が、あの日と変わらず鎮座していた。


つぼみはぷっくりと膨れ上がり、もう、今にも咲きそうであった。
その中の一番大きなつぼみのある枝に、何かが引っ掛かっている事に春人は気付いた。

近付いて手を伸ばしてみると、それはキーホルダーであった。
日本刀の形をした、『武器シリーズ』というガチャガチャに入っているキーホルダーだ。

「ずっと、大事に持っていてくれたんだね」

春人がそのキーホルダーを手に取ったその時、ふわりと柔らかくて温かいモノに視界を遮られた。
すぐ後ろからは優しい良い香りが漂ってくる。

「だぁーれだ?」

相も変わらず鈴の音のようなその声。

「久し振りだね。桜ちゃん」







丘の上に立つ一本の桜の木は、嬉しそうにつぼみを開き、満面の笑みを咲かせた。