スキージャンプに貢献する
コロナ禍の7月。まだ解雇になるとは知るよしもにく、黙々とトレーニングしていた頃です。
地域貢献としてゴミ拾いなどといった活動中に、大好きなスキージャンプにも貢献したいという思いが生まれました。
行なってきた地域貢献活動はこちら↓
私は東京都調布市出身で、家族で活動していた東京調布ジャンプ少年団の出身です。
そのため、普通のトップ選手と違って地元の少年団というものがありません。
一方で全国各地のジャンプ少年団にお世話になったので、そういったところにも本来何かしていきたいですが、残念ながらアイディアを持ち合わせていません。
そんな折に見つけたのがこれです。
オリンピックの金メダリスト、荻原健司さんが主催するジャンプ体験会。地域にとらわれず、ネームバリューを使っての広告によって首都圏の子供も来ます。
私は練習の合間を縫い、この体験会のボランティアに行くことにしました。
荻原健司さんの活動はこちら↓
まずは、この体験会を通じて私が考えたことを書いていきます。
私はジャンプを始める環境に恵まれていたな
私が下川町にジャンプの体験に行ったのは1998年12月。
私自身はほとんど覚えていませんが、長野五輪の原田さんと船木さんの映像が散々テレビで流されていたのでスキージャンプのイメージは完璧でした。
加えて、私は直滑降が好きでした。小さく屈んで如何にスピードを出すかを園児ながらに考えていました。
そんな私の5m級での初ジャンプはよく覚えていません。
とりあえず着地できずにランディングバーンを背中で滑ったことは記憶にあります。
北海道在住の方は伊藤有希選手の初ジャンプを見たことあるのではないでしょうか。
まさにあんな感じです。
しばらくすると着地できるようになりました。
そうなってからはとにかく踏切台でジャンプすることしか考えていなかったです。
そして何より左隣の20m級では伊藤謙司郎さん達が、右隣のジャンプ台では伊東大貴さんや千田侑也さん達が練習しているわけです。
体験会となると中々間近で凄いジャンプを見ることができません。
また今では、本州の子供達がスキージャンプを目にするにはYouTubeなどで自分で情報をとりにいくしか方法がありません。
その2点で考えさせられました。
ゲレンデスキーの変貌?
近年ゲレンデスキーがニュースになるのは死亡事故などのケースが多いのではないかと思います。
直滑降禁止のスキー場も多々あると聞きます。
今回募集したのはゲレンデスキーができる子という募集内容でした。
スキーができる前提で見ていた分もありますが、意外と真っ直ぐ滑れない。
また、スキーが上手でフリースタイルをやっていると言う子でも小さく屈んで滑ることを難しそうにしていました。
地元のスキーが上手な二人は飯山のK30の台を滑って降りてくることはできました。
フリースタイルをやっているという子は、踏切台に力を伝えることができていましたが、二人とも助走路ではほぼ立ったままで、アプローチ姿勢を組むのは「怖い」とのことでした。
恐怖心でアプローチ姿勢から踏切れない子はよく見かけますが、このケースは初めてでした。
昨日の飯山には、健司さんのチームの子供達と白馬の小学生が一人練習しているだけという寂しい状況でした。
そのため、彼らは私の始めた時のようにK点を超えるような「凄いジャンプ」を間近で見ることができませんでした。
個人的にはスキージャンプの魅力は「恐怖心に打ち勝つこと」と踏切台で思いっきりジャンプしてふわっと浮いた感覚を得ることだと思っています。
その二つの観点から見るとジャンプの魅力を100%伝えきれなかったような気がします。
それでも、またジャンプ台に来てくれたら嬉しいですね。
「どうやったら、ジャンプを始めてくれるか?」次の機会があればもっと考えてアイディアを出して行動していきたいですね。
感想
荻原健司さんの、子供の心を掴む声かけや現場での活動量はすごかったです。
まさに教育者たる姿でした。また、所属事務所のスポーツビズがこの模様をYouTubeにアップしていましたが
カメラの前ではさらにトーンとテンションを上げて喋るという、メディア向けの技術も垣間見ることができました。
これが「スター」なのかと思い知りました。
下川町や野沢温泉でジャンプ体験会を手伝った経験はありましたが
ここまで深く考えたのは初めてでした。
この時は目先の余裕があり、ボランティアに参加できましたが。10月以来私自身の生活が脅かされている状況では難しい面もあります。
ただ、タイミングが合えば積極的にこういった活動に参加したいです。
また、こういった活動を主催し人を集めれるようになりたいと強く感じました。
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