朝起きたら、寝る前に閉めた筈のベランダの戸は全て開き、寝室は湿った秋風の通り道になっていた。
夏を越した薄手の羽毛布団からは、汗と埃が入り混じった匂いがして、ただただ暑かった2018年の夏を生き伸びた生存者のような心地と、そんな季節を越え、この部屋にふと置き去りにされたような悲しい気持ちにさせられた。
そんな日だから、いつもよりも重い体はなかなか言う事をきいてはくれない。
十分に雨の降った牧場の土のような布団に、このまま永眠してしまってもよいような気さえしたかま、ふとやってくる正気になる心の回転数は自分の体を勝手に起き上がらせて1Fのリビングに向かわせる。
起き上がる事も1つの生理現象。生きてるというのはこの事なんだろう。
仕事のある普段の生活ならば、行きの車で立ち寄るセブンイレブンのアイスコーヒー、もしくはちょっと贅沢なドトールコーヒーか(アイスコーヒーは完全にドトール派)その二択しかないのだが、この日は休日という事もあり、何も考えずに冷蔵庫の扉を開けた。
先日冷蔵庫にこぼしてしまったりんご酢の匂いが、鼻をつき、微々たる食欲を奪ってゆく。
右にある筈の生卵が、なんだか綺麗。
森の香りを推したパッケージに入ったソーセージ達も今か今かと調理されるのを待ちわびている。そう言えば別荘地や観光地によくあるハムソーセージ専門店やバームクーヘン専門店はなぜそこにあるのだろうか?先週、ライブで水上温泉に行った時に出した結論事を思い出そうとしたが、なんだか面倒くさくなり、そのまま冷蔵庫の扉を閉めた。

なんだか色々乗り気にならない。そんな日もある。
嫌な事もあれば、まあちょっとした良い事もあるし、そんな出来事を繋いでゆくのが営みだ。
そうは思ってはいても、色々な世の中や他人、自分の生活を入り混ぜてしまった、複雑な回路は時に自分の体内時計を狂わせてゆく。

何も食べてはいないが、どうも体は少し後ろ向きながらも、砂糖を入れていないアイスコーヒーは義務教育のよう。喉の奥を通過していった。
タバコに火をつけ、朝の1本を吸った時、いつも思い出すのは、何故だかピアノの黒鍵、白鍵の話。
この世の中には、ピアノの黒鍵と白鍵のような関係のような食物があり、それを選別しながらそれを摂取しバランスを摂ってゆくのだと、マクロビをしているが、とてつもいヘビースモーカーの知り合いが意気揚々と話していた事。
健康と不健康さが健全に入り混じったその様子は、朝とタバコの関係性と妙に重なる。
僕は大概、そのタイミングで、自分の気持ちを抑えるが如く、天井を眺めてはまばたきをして、昔のパラパラ漫画のようなカットを今目の前の景色にしてみせたりする。
理由は割愛する。

1日が、途方もなく過ぎてゆく。
そんな日は、今自分をワクワクさせている事は何かと思い出すようにしている。
そうだ、一昨日大きな発見があったのだった。それは、耳栓をしない演奏の気持ち良さだった。
ドラムというのは非常に厄介な楽器で、自分が演奏
する目の前には物凄く広い音レンジと、沢山の倍音が渦巻いている。
それに一喜一憂しながら、僕は溺れ、我を見失う時期があり、非常に悩まされていた。
そして、その音の渦は、マイクを通して客席にはある程度しか伝わっていないものだ割り切り、一時期、自らシャットアウトをする事を決めてしまったのだ。
そう、その手段が、耳栓である。
耳栓とは言っても、全く音が塞がれるのではなく、ある高い音域だけを抑え、演奏をしやすくしてくれるという、何度も便利なものが楽器屋さんに置いてあるのだ。
それを装着した時の演奏のしやすさったらないのだ。周りの音も良く聞こえる。
それから僕は耳栓中毒になってゆく。
恐らく、耳栓なしで演奏をかれこれ数年してきていなかった。
そんな自分が陥ってしまった1つの罠。
それは、自分の本当に好きな音色がわからなくなってしまうという事だった。要するにそれは、楽しさを失ってしまっているという事にも等しい。それに気づいた時はゾッとした。
楽しさというよりも、感触の味わいを削ってきてしまった事、何より、音楽を感じる要素を自ら無くしてしまってきた事への悲壮感である。

そんな自分は、常々自分に嘘をついて来てしまっていたのかもしれない。
それに気づいた時のハッとした感覚。
外の景色を何も見ずに、携帯を見つめながら毎日田舎の電車に乗っているような。
そんな感覚にも近い。

突然耳栓を外し、演奏をする恐怖感ももちろんあった。そんな後ろ向きな気持ちを抑え、演奏をした。その日の楽しさ。
何てこった。耳の奥の毛穴が喜んでる。
最近自分のシンバルの無駄なハイにも気づく。
スティックの特徴も細かく理解出来る。
今の自分をはっきり分析する。
そして、新たな扉をまた開く。

失ったものは、恐らくない。
むしろ、その分見える世界が突然広がった、と信じている。

そんな前向きな事を思い出した。
しかし、朝の鬱陶しい気分を晴らせてくれはしないから困った。
それを再び確かめなければいけないのだ。
スタジオに行き、パジャマのまま、スティックを握る。
シンバルを撫でるようにスティックを振り、スネアをノーミュートで叩く。キックをそっと力強くオープンで鳴らしてみる。

気づいたら夕方になっていた。

部屋を出ると、外に出たくてしかたがない犬が玄関マットに寝そべっていた。

「行きますか」

小雨の降る中、足取りはゆっくりと。
ひとつひとつの音の響きを感じながら、する散歩は格別だった。

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