気軽にドラムが叩けない場所、東京。深夜の密会。

東京に引っ越してきて約15年。
東京では基本的にライブやリハーサル以外は普段ドラムが自由に叩けない。
そりゃ当たり前だ。マンション、アパートでドラムを叩いたら速攻隣人が通報されてしまう。
いや、自分でもするだろう笑

大学生になり上京する以前の話。

実家は築40年を越えた古い昭和家屋ではあるが、今となれば二代続いた生花店。
その為、エアコンがまだあまりない時代に作られた、花を保存する為の狭い地下室があった。
幼い頃は、悪戯をしたら地下室に閉じ込めるぞ、と脅されたり、友達と肝試しをしてみたり、その地下室がどこか遠くに繋がっているんじゃないかと夢を膨らませたり(当時流行った、グーニーズやインディージョーズのような冒険映画に触発され)、はたまたネズミがいると家族で噂が経てば、たちまち誰もがあまり触れないような場所になっていった。

そんな地下室に転機が訪れたのは中学生時代。
どうしてもドラムが叩ける部屋が欲しいと親に懇願した所、進学校に入ったらなんとかしてあげる、と冗談半分に僕に告げてしまった母。
そんな冗談をマジに受け止めた自分は、毎日毎晩、生活の時間割りを作り、分単位で基礎正しく受験勉強に勤しんだ。
結果は合格。勉強を真面目にし始める以前の状況では受かるはずもない高校に進学が決まった。
親はドラムを叩ける部屋として、あの誰もが忘れかけていた場所、地下室を防音室の改造に踏み切る事に。

ただ、この結果を受け、防音工事に1番乗り気だったのは、うちの親父であった。
親父は若かりし頃プロドラマーをやっていた時期もある。母と結婚した後は、趣味でやっていたサーフィン好きの趣味の方が高じ、サーフショップを始めた。その代わり、音楽は変わらず趣味で続けていた。
地元でもなかなかなファンキーな親父なのだが(未だに夢を追う、風天親父である。詳細は敢えて割愛しておく)、
その地下室には、思春期の僕の夢と、親父の音楽を密かに続けるという、妙なシンクロニシティが働いた、未来が詰まっていた。

地下室の防音工事が完成するや否や、親父は地下室に当時高嶺の花のような値段がしたRolandのMTR840(デジタル録音機器)と、ヤマハの10M(レコーディングスタジオの定番スピーカー)、SonyのMD900st(レコーディングスタジオの定番ヘッドホン)、それからマイクスタンドにshureの58と57(定番マイク)を数本設置してくれた。もちろん、2/3は自分への勉強という理由をつけた親父の趣味。

そのタイミングで親父は何気なく作曲や録音を地下室で開始。
僕は僕で、家で気兼ねなくドラムの練習や宅録が出来るようになった。
そして何より、その地下室のスピーカーで深夜に爆音で聴く親父セレクトのレコード視聴大会が楽しくて仕方がなかった。

母親が寝室に行った後、僕は勉強を終え、タバコの煙に包まれた一階に静かに降りては、読書中の親父に遠慮気味に、何気なく音楽話を持ちかける。
最初は興味なさそうなフリをする親父は、次第に読書をやめ、結果的には親父の話は止まらなくなり、そのまま地下室に移動。
そこでかける親父の解説付きでかけ始めるレコードの数々。
うんちく含め、あの時間は今の自分の作る礎になった気しかしない。
時にはこんな日もあった。「ちょっと曲作ったんだけど、それに合わせてドラム叩いてみない?」という。
僕は親父のピアノ弾き語りに合わせてドラムを叩き。
毎回、お前のドラムまだまだだな、と言われる。
自分は心の中で親父の曲、まだまだだなと、思っていたが。
初めて聞く曲に、即興でドラムをつける感覚はとてつもなく新鮮で楽しかった。

高校を卒業し、進学するまでの約4年間はこんな時間を過ごしていた。
この地下室がある事でどれだけ自由ドラムが叩けた事が。
自分でドラムに数本マイクを立て、作曲をした曲と、自分な弾いた下手くそなピアノやギターに合わせドラムを宅録もしていた。
高校時代は、吹奏楽の練習を終え、21時に帰宅。そそくさとご飯を食べ、23時まで地下室に篭り、母に注意されるまで大好きなCDに合わせながらドラムを叩いていた。
今となってはかなり贅沢な話だ。

上京後は、あの頃の自由にドラムに触れる時間が減ってしまった。
その代わりに仲間と演奏をする時間が一気に増えた。
そこで得た経験は本当に何にも変えがたい、特別な時間だ。
毎日毎日誰か人と音を出せる喜びを、一気に爆発させた。

しかし、いかんせん個人練習という名の、ドラムに向き合う時間が減ってしまったのも事実。
部屋に戻っても、一枚の防音用のゴムの練習台をパタパタと叩くだけ。
まるで音楽的に感じられず、ただただつまらない。
すぐに飽きて眠くなる。そして、寝てしまう。
ただトレーニングとしてらやらねばならない、とはわかっている。
だから、眠くなるまでは練習していた。

そして、気がつけば上京生活15年だ。

プロドラマーと言えるような生活をしながら、さすがに練習しなきゃなと思った時は、リハーサルスタジオに行き、数時間ドラムを叩く。
そして、ある感触を取り戻す。
そう、そこまでの話。
自分にとって、1番欲しいのは、継続と成長だった。とにかく毎日アンサンブル以外にもドラムに触れる時間が欲しかった。
楽器に触れながら、そしてその楽器の事も知りらねばならい。

そんな夢が突然叶ったのが今年の春。
偶然見つけた防音室がある物件が割と近所に見つかり、躊躇せず、即引っ越した。
それからほぼ毎日、ドラムに触れる時間が自然と増え、明らかな手ごたえと感触があるここ半年。
やれなかった事をギリギリ取り戻しているような(よくやらずにここまで来れたもんだと思う)、そんな日々を過ごしている。
それは基本的な練習だけではなく、ポジショニングや、スティックの特性、そして収集してきた楽器やマイクと向き合う時間になっている。
例えば、レコーディングスタジオやリハーサルに行く前日、曲を聴いてから、楽器を選び、それからある程度のチューニング、ヘッド交換したり、楽器を組み合わせたりと、シュミレーションが出来るようになった。
何せ、大概レコーディングスタジオでは時間がない。
スタジオに行ってから、音作りに使える時間は限られている(そんな短い時間のかけ方で良いのか!?と思う事しばしばよくある)。
そんな準備が事前に少しでも出来る事も本当にありがたい。

気軽にドラムが叩けない場所、東京。
ドラムを自由に叩ける場所はあまりないが、
その分、CD、レコードをひたすら買い漁り、時間を音楽で満たすべく、とにかく沢山音楽を聴いてきた、自負がある。
昼間はスピーカー、夜はイヤホンで。
沢山の無駄な情報を遮るべく、移動中の電車はイヤホンして音楽に身を寄せる。
失恋した時、はたまた将来に不安を感じ、また孤独を感じても大好きな音楽を聴きながら、その中ならば自分が呼吸が出来ているようで、沢山励まされてきた。

そして、ドラムに触れるようになったこの半年。
何か忘れていたものを一気に取り戻している。
ドラムという楽器により向き合い、触れてい
良き方向に向かっている感触がある。
今は、防音室での練習を終え、深夜にこの日記を書いている。
漂うタバコの煙の向こう。
あの頃の親父との密会に思いを馳せながら。

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