見出し画像

エンジニアリングマネージャーは「問題解決ブルドーザー」の夢を見るのか

突然ですが私は「問題解決ブルドーザー」になりたい。

プロダクト開発や技術に関わっていると数多の問題と向き合うことになる。ブルドーザー業務は楽しい、いろんなこといろんな手段で解決する。デザインからAWSまで、技術でも物理でも何でも振り回して状況を変える起点となるのは楽しい。一方でマネージャーとしても同じような・またはより高品質に「解決できる人を作ること」が求められていることへのジレンマについて整理したい。

「解決できる人」をつくる解決者のジレンマ

問題を解決する人=解決者は大体は「自分で解決したい」と思っている。それは解決したい課題があり、それに挑戦することや解決した実績を作りたいと思っている。私もそう。一方でキャリアにおけるある地点、とくにマネージャーになるという地点からこれがガラッと変わる。「解決できる人を作ること」が求められ始める。指示者・実行者の関係しかない組織でもスケールしていくためには指示者が増えなければいけないからだ。始皇帝の時代からも「5人長」や「100人長」という言葉がある通り、古来より人は問題への取り組む人を粒度を分割することで解決してきている。なぜこんなことになるのかというと、もちろん階建の粒度を小さくして管理・解決できるサイズに落とす役割や責任分解もあるが、シンプルに組織の成長は個人の成長より大きな結果を作れるからだと思っている。

成長曲線は個人と組織で違う

我々マネージャーは組織成長を作る必要がある。売上のため、プロダクトのため、またはユーザーのためであり、それは多くの問題を解決するためである。個人の成長は管理しやすく楽しい、成長を実感もしやすい。一方で組織の成長は最初は見かけ上遅く、効果も出るのはあとになってくるが、「問題を解決できる人」が増えることで「問題を解決できる人を作れる人が増える」・・・これが繰り返されることで組織成長の加速度は上がり続ける。図にすると下記のようになる。

課題解決

上記の図の中で緑の部分は「全員でレベルアップ」をして問題解決できる人が増えていくことで、最終的に解決できる総量は濃い赤色の「マネージャーだけがスキルアップする」より長期的に見て多くのことを解決できるようになることを期待される

一方で、この成長加速度が逆転するまではマネージャーはめちゃ辛い。自身のスキルアップがないように感じるし、周りが成長する一方で自分が何もできていないように感じて辞めたくなる。加えてピープルマネジメント特有の課題やストレスを感じてマネジメントが嫌いになる。それで結局手を動かしたり、自分が動いてしまい左側の薄い赤の部分の面積が一生小さくならない。しかもこれには特効薬がない。かつ現場最適した手法が望まれる。自分もめちゃくちゃそれだったし今のそう感じることもあるけど、なんとなく上記のようなイメージを持ってからは自分が今丁度「ココまでがきつい」の前後を行ったり来たりしているように感じる瞬間が増えてきて、やっと一つの壁の前に立てていて、これがマネジメントの成長なのかもしれないと思っている。実際にはこんなきれいな図にはならず上下して拮抗したりする。

思い返してみると、「この状態を早く抜けること」「解決できる課題の総量は増えてないかもしれないけど、問題を解決できる人を作るスキルが伸びていること」「組織成果のモニタリングに力を入れること」などにもっと最初から取り組んでいればもっと楽だったと思う。

そういった仮説から、エンジニアリングマネージャーとしての自分は問題解決ブルドーザーをしつつも、「問題解決ブルドーザー軍団」を作ることを夢見ながら目指し続けなければならないというジレンマと向き合い続けねばならんなと思っている今日このごろでした。

ただ時たま、それでも組織成果以上の加速度で成長し、個人で一発でいろんなことを解決できる「問題解決の化身」のような存在にも憧れることもあり、まだ自分でも整理しきれてないのだろうなとも時々思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?