科学と目的と免罪符と

どうも、樹木医のカントーと申します。現在、私は全都道府県のサクラを見るために旅をしています。

今回の旅で、頭を悩ませているのが話題の新型コロナウイルス。このコロナについて、まさかこんなに大きな問題になるとは思いもよりませんでした。

しかしながら、私達は今のところ旅をやめる気はございません。理由は、私達の活動は車での移動と、基本的に外での活動、つまり、他人との接触は限りなく少ないからです。私達が感染するリスク、移すリスクは低いと考えており、自宅待機+買い物という、所謂「自粛生活」とリスクは変わらないという結論です。

また、WHOから無症状患者からの感染リスクは低いという報告もあり、症状が出たら即中断しますが、非常事態宣言が日本全土に出されるまでは続ける予定です。

そんなこんなで、今回のコロナ問題について少し自分の思うところを文章にしたいと思います。これはあくまでも個人的な意見です。


今回のコロナ問題で気になるのが、「不要不急の外出」と「自粛」という言葉。これらは本当にコロナに対して有効なのでしょうか?私は違うと思います。

これら2つの言葉は「手段」であり、「目的」ではありません。この2つの手段の目的こそが「感染拡大の防止」です。しかし、現在の風潮は「手段の目的化」という問題が浮き彫りになっていると感じます。

つまり「感染拡大を防ぐこと」ではなく、「外に出ないこと」が目的になっているのです。これでは本末転倒です。本来、所謂「3密」を満たさない場所であれば、感染リスクは極めて低い筈。それにも関わらず、「不要不急=悪」が成り立つ世の中に向かっています。

私達の「桜前線追いかけ隊」の活動は、限りなく「不要不急」に近いと思っています。しかし、会社とその社員だけが思っている「急用至急」幻想のために、公共交通機関を使用したり、人口密集地に出かける方がよっぽど感染拡大のリスクは高くなります。そして「仕事だからしょうがない」という「免罪符」が、思考を停止させている感が否めません。

同時に、買い物という「免罪符」によって家族みんなでスーパーに行ってレジに並ぶのも、感染拡大のリスクから言えば私達の活動よりもずっと高いはずです。これらの行動を全否定する訳ではないのですが、やはり科学的事象には、科学的に、また効果的な手段を持って対処すべきだと思うのです。


また、最近のニュースでは「感染者数」や「若者の死者数」などが取り上げられます。しかし、この数字も単純に数字だけで見るのではなく、私は統計学的に分析した結果として捉えるべきだと思います。

もちろん、その「1人」というカウントが何にも変え難い尊い命であることは言うまでもありません。しかし、分母が大きくなってきているの以上、ショックな数字が出てくるのも当たり前だと思います。また、「若者の死者数」については、医療崩壊した現場において、もはや年齢という指標が正しいかとうかも同時に議論されるべきです。

冷たく感じられるかもしれませんが、これらの問題はやはり「感情」ではなく、「科学的」にアプローチしていくべきだと思うのです。

世の中に「0リスク」という幻想は存在せず、また、「絶対安全、安心、安定」というものも存在しません。だからこそ、「リスクの最適化」が必要です。

現在の経済的疲弊は凄まじく、観光業や飲食業を始め、多くの企業が今回のコロナ騒動で倒産に追い込まれるでしょう。半年後、一年後に出てくる自殺者も含めて、今回のコロナの被害者だと思います。この問題を防ぐ術は、国の政策だけでなく、各々がリスク最適化の中で経済の縮小を最小限に抑えるよう考えていくべきだと思います。「自粛」は人を殺すことがあるのです。


つまり何が言いたいかというと、「不謹慎」や「感情」を排除し、「科学的」にリスクの低いと思われる行動を各々が取るべきです。

この問題に答えはないと思います。しかし、意見が割れることは実に生物学的です。多様性戦略としていろいろな行動をした結果、何が正しかったのかを検証することが次のステップに進むための大事なプロセスです。

ただ、科学は常に更新されるので、常に情報収集し、新たに推測、検証をする必要があります。その情報リソースが、今のメディアで果たして正しいのか?そこも深く考える必要がありそうです。

とにかく、コロナウイルスのいち早い収束を願わずにはいられません。皆様もどうかご自愛ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?