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「できるだけ自然な死に方」を看取った話---人は枯れて、死ぬ。それでいいやん?---


父の「できるだけ自然な死に方(延命や蘇生をしないこと)」を看取った葛藤とか満足とか、そのへんの話をひとつ。


今、日本では普通、具合が悪くなると病院に行くし、行けばなんらかの処置をされます。
だけど、処置をしてもそれでどうなるの?というケースもある。それで快方に向かうわけではない場合です。

ターミナルケアという言葉があります。
「ターミナルケアとは、余命わずかになってしまった方へ行うケア(終末期医療、終末期看護)のことです。 同義に「看取り介護」という用語もあります。
延命治療を行わず、痛みや不快な症状を緩和するケアのほか、心のケアを中心とした看護や介護をします。 ご本人らしい人生の最期を迎えるために行われるものです」(ネットより)。

末期がんでよく使われるけど、老衰だって同じです。

私の父は元気だった頃から「管や計器につながれて、わけわからん状態で何ヶ月も生きるのは絶対にゴメンだ。延命とか蘇生とかはしてくれるな」と繰り返し言っていました。

2016年の12月3日まで元気でよく食べていたのに、4日に腸閉塞になって手術したのをきっかけにものを食べたがらなくなりました(体はそれなりに元気でした)。

はじめは私も「食べないとだめだよ」と勧めてたし、何なら食べてくれるだろうかと、好物だったものをあれこれ作ったりした。
けど、どれも食べない。好きだったものも「何か臭い」という。油の匂い、ご飯の匂いもダメ。工夫してるのに口も付けてくれないと、ついイラッとしてしまうこともありました。

2017年元日に、今度は腸粘膜の出血で貧血になって入院し、10日で退院したけど、本格的に食べなくなった。
医者に相談したら「内臓が老衰してて、欲しがらなくなってるのでは」と言われ、それだったら無理に食べろ食べろというのも酷だと思い、「いらん」と言われたら「わかった」とあっさり引き下がることにしました。そして食べたいものはなんでもOKする(ハーゲンダッツのアイスクリームとビールなんだけどw)。

こう割り切ったことで、自分もイライラがなくなって、そこからはすごく穏やかに楽しく父と過ごすことができました。
この時に、自分の中で「ターミナルケア」に切り替わったんだと思います。

この時期から訪問看護というサービスも頼み、「痛いとか苦しいとかはできるだけ取り除いてほしいけど、延命治療はしません」という考え方をはっきり伝えました。
一度だけ「それでいいんですか?」と聞き返されましたが、訪問看護の方は理解してくださいました。

このあたりから、介護のケアマネージャーと考え方が乖離していった感じがします。
ケアマネはあくまでも「もっと良くしたい」が頭にあり、「起きる練習しないと起きられなくなりますよ」とか「車椅子でも、寝たままでも、デイサービスに行けますよ!」とか、すごく積極策を出してくる。
いや、もうそういうのいいんです、って言っても理解されません。

良い悪いではなく、根本の立ち位置みたいなものが違うんだと思います。良い人だと思うのですが、もう求めるものが一致しなくて困りました。
死ぬ前日にも、寝たきりのまま半ば強引にデイサービスに連れ出されました(低血圧になっていて、頭をあげるだけで気を失う状態だった)。

ほとんど何も食べない父は少しずつ弱っていったけど、とても穏やかな日々でした。
相撲中継を聞いて日本人横綱誕生を喜んだり、子供の頃に歌ってた曲を教えてくれたり(「満州行進曲」だったけどw)。
頭起こすと白目になるくせに、ビールだけは吸い飲みで飲むわけにいかん!と死ぬ前の日までコップで飲んでました。

1月29日、背中が痛いとか吐き気がするとか時々息苦しいとか、それまでなかった訴えがあったので、契約していた訪問看護師を介し、「一度受診して、それらが楽になる薬を貰おう」ということになりました。
在宅診療医に切り替えて貰う手続きの途中だったので、まだ主治医は総合病院のままだったため、往診は望めないので救急車で行きました。

もちろん意識も普通にあり、会話もしていましたが、着いて間もなく急に意識が落ち、「ちょっと来て下さい!」と呼ばれていった時には血圧が下がって脈がとぎれとぎれになってた。
医師(たまたま主治医だった)は「何もしなくていいんですね?」と確認してきました。「いいです」と答えました。

血圧を上げる薬もあるし、心臓にショックを与える機械もあるけど、それをやったところで何を目指すのか?ってことです。
何分か、いやもしかしたら何日か永らえるかもしれないけど、それは父が望まなかったことです。

ほんの数分で計器の波が平坦になって、全てが終わりました。全く苦しみませんでした。87歳。
「もうこのへんでええ」  と自分で決めたみたいな終わり方でした。

私はこれが本来の人間の死んでいき方だと思う…。枯れて、終わる。
食べられなくなり、排泄できなくなり、血がめぐらなくなり、生命活動が停止する。

一度は延命しないと決めても、いざとなるとひるがえす家族も少なくないようです。
人によっては「よく見てられるわ、残酷だ」「まだできること(処置)があるのに」と非難するかもしれない。
私もはじめの頃はもう一度元気になるのではという気持ちもあったので、迷いましたが、途中決めてからは貫いた。

私はこれでよかったと思う。
胃ろうも点滴もしていないから、むくみもない、針あとも内出血もない、きれいに枯れた体で父は逝きました。

どんな状態であっても1日も長く!と考える方を非難するつもりはありません。考えはそれぞれだと思います。
これはただ、私はこうでしたという書き残しです。

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