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"将来の夢がない" 私ならではの人生の楽しみ方

幼少期、ヒーローものが好きな子はヒーローを志したし、ケーキが好きな子は「ケーキ屋さんになりたい!」と好奇心旺盛ゆえに色んな夢を描く友人が多かった。

やがて小学生になると、少し世の中が分かってきて、
医者/弁護士/社長/芸能人などなど
地位や名声などを手にする代表的な職業が夢として、
どんどん年齢を経るごとに現実味が増していく。

その現実味からか、私は将来の夢を抱いた事がない。
今回は、将来の夢がないことで感じていたコンプレックスと、そこからどう人生を楽しんできたか一個人の経験談としてお話ししたい。

10才で受けた衝撃、夢がない罪悪感


特に鮮明に記憶に残っている事がある。
小学5年生の時、保護者を前に自身の夢について、
スピーチをするという行事があった。

3分で成人の半分を迎えた小学生がどんな夢を描くのか
保護者は温かい気持ちで聞いていた事だろう。
スピーチが終わると拍手が起こる。

そんな中で私は正直に
「今は夢はないけど、今後見つけていきたい」
と、スピーチとはいえない宣言だけして終えた。

すると、拍手がほぼ起こらなかった。
さらに、担任の先生には手抜きだと注意をされた。

夢がないこと=悪いこと
そんな風に感じたことを強烈に覚えている。


夢を考えないようにした刹那的な思春期

何となく「私立に行った方がいい。」ということを
親から聞いていた私は中学受験をし、
都内私立の中高一貫校に進学した。

ここは当時の自分にとっては天国だった。
自身の将来のことなど考えなくてもエスカレーターで
大学まで上がれてしまうのだから、
ただ目の前のことを楽しんで思い出作りに励むのみ。

遊びと部活動に全力投球し、何気ない日々が流れる。
勉強を継続的にできなくなっていた私に親は
学習塾に通わせることで補填しようとしていた。

学習塾とは、目的を持って通う教育の場であって、
義務的なものではない。
より夢を具体的に抱く人が集まる環境ともいえる。

「地獄だ。」と感じながらも通い続けた。
そんなことより、「遊びたい。」としか思えなかった。


「絶対なんてない」救われた一言

地獄の学習塾が人生の転機になる。

英語の授業でニーチェの思想についての英文を扱う。
「神は死んだ」
今となれば有名な言葉だが、当時の私は知らずに、
とりあえず、God is dead.なんだなと読み流す。

英語講師はこの言葉を下記のように説明した。
「神という絶対的な存在が死ぬということが指すのは、
絶対的価値観の崩壊を意味する。つまり、絶対なんてものはないってことなんだ。」

さらに続けて、
「価値判断の正しさを科学的に証明することは不可能という価値相対主義の考え方が生まれた。例えば、人を殺すことは悪いことだと科学的に証明することは不可能だということだ。」

ハッと気付かされた。
夢がないことの何が悪いのか、決めるのは自分であり、
周囲が判断することではない。
自分の人生の価値は自分で決めるものだと認識した。


他人の価値観が自分を育てる

私は高校から大学への内部推薦権を自ら辞退。
そして、大好きだった部活も突然退部し、
自分の可能性が広がる環境を求め、大学受験をする。
いずれも親に相談もなく行い、かなり怒られた。

ここから、あらゆることへの向き合い方が変わった。
まず、他人とのコミュニケーション。

今まではいわゆる人間関係を良好的に維持するための
表面的なコミュニケーションが主であり、比較的、話題に困らないコミュニティを選ぶ傾向にあった。

しかし、人を選ばずになるべく多くの人と接点を持つ機会を作り、話す内容も趣味やゴシップなどではなく、
「どんな考え?」「なんでそう思う?」と問いを意識し、「私はこう思う」と自分の考えもぶつけた

結果的に、人間関係は広く浅いものになり、
「面倒な奴」と思う人間も少なくなかっただろうが、
多種多様な人の存在を認識する事ができた。

自身の変化としては、受容性・共感性が高まり
これだけ多様な人種がいる中で何気ない一言が、
人の心を傷つけるという言葉の繊細さも学んだ。


座学では手に入らない、生の経験値

大学生になった時、読書習慣をつける努力をしたが、
全く定着しないどころか、読書を封印した。
「テキストの解釈が合っているか分からない」
「これは作家の解釈であって、私なら違うかも」
そんなことを考えてれば、頭の中に入るはずもない。

大学の授業も同様に、
「学問って全くイメージ湧かない」
「これ覚えるものじゃなくて、感じるものでは?」
などなど理由をつけ、大学の授業も放棄した。

「将来の夢を見つけるのに繋がる事がしたい。」
その一心で、一つ方針を固めた。

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大学在学中にできる限り多くの職場で働き、
自分がやりたいと思った仕事を見つけ、
将来的なキャリアビジョンを描く。
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TV局、塾講師、事務、営業、接客、ライター、整備など
それぞれ最低でも半年は継続的に勤めて、
長いものは3年間継続した。
気づけば、月収40万〜50万の勤労学生だった。

その他にもボランティア活動をしてみたり、
短期間の学生団体の運営をしてみたり、
潰れそうなサークルを立て直してみたりと、
時間の合間を縫って、精力的に活動領域を広げた。

遊び方も変わり、やったことがない遊びを追求し、
ゴルフ、ビリヤード、麻雀、パチンコ、eスポーツ、
樹海散策、サバゲーなどなど
中年男性のような趣味になっていった。

毎日、何かしらの初があり、刺激的な日々だった。


見つからなくても、探す事が楽しい

これだけ活動領域を広げて動いたにも関わらず、
結果としては夢は見つからないまま、就職活動へ。

ファーストキャリアは重要だとよく聞いたが、
私にとっては第二の就職活動の土台にすぎない。

新型コロナウイルス感染拡大のようなこともあれば、
突然身内が不幸になることもある。
人生何が起きるか分からないのだから、
極論、将来のことなんて決めなくていいと私は考える。

ただ、夢を探すためのアクションは人生を豊かにする。
それは新たな人との出会いも、新たな環境への挑みも、
未知の体験も、自身への問いかけも全て当てはまる。

自分の可能性を広げるものはこのアクションであり、
得る経験値は失われることのない個人の財産であり、
いつでも読み返せる自分の中の本棚のようなものだ。


この記事はあくまで私個人の経験談であり、
全く違う考え方があるかもしれません。
是非そうした考えはお伺いできると嬉しいです。

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