見出し画像

死随念とは

死随念とは、死の瞑想といわれ
死を観察する瞑想の方法のひとつ。

私が、"「note」でたくさんの思想に触れて、自分自身も発信し、
創る力を育みたい" の考えに至るまでを簡単にまとめる。

画像1

身近な人が、急な事故で遠い存在になってしまった。
それから、私の中で「死」がより近い存在になった。
それは「死にたい」とかそういう気持ちが芽生えたわけではなく、
「もしかしたら明日私は生きていないかもしれない」という気付きである。

死随念という言葉とは、その気付きのあとに出会った。
「誰でも必ず死ぬ」
「世の中の無常を理解すれば、心穏やかに生きられる」
そんな言葉を目にして、どうせ死ぬなら頑張っても意味ないじゃん。
というのが最初に湧き出た気持ち。
人生の波風に疲弊して少し自暴自棄になっていたからだと、今だから言える。そんなことを思いながら、身辺整理したりそんな日々だった。

そんな私を徐々に変えてくれたのは、まぎれもなく「人」の存在だった。

サバイバル能力が高くて、いつも私をびっくりさせる異国の友達。
苦しいと伝えていないのに、そんな時に美味しいものを届けてくれる友達。
いつも家族総出で、私をまるごと肯定してくれる友達。
歌を聴きにおいでよ、とステージで輝く友達。
結婚のスピーチをするよ、と予定のない結婚式のことで意気込む上司。
何かしら頑張るタイミングが一緒の友達。
そして、生きる姿そのものが教えとなっている家族。

どうせ働くなら可能な限り楽しく働きたい。
どうせ死ぬなら人を喜ばせられるだけ喜ばせて死ねたらいい、
という考え。
死随念 という言葉を久々に思い出し、
つらつら連ねた夏の夜のnote。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?