oceanlily

詩ともエッセイとも付かない自分の言葉を、ぽつぽつと投稿しています。

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最近の記事

夏の合奏

夏は、迫りくるものじゃないのか。僕の知らない間に、突然夏はきた。いつの間にか、合奏は始まっていた。 ジーワジーワ。 カナカナカナ…。 リン…リリン…。 風が、気まぐれに鈴を鳴らす。扉を開けると始まっていた突然の夏に、僕は全身を震わせた。まだ6月だというのに、初夏の合奏である。 リリリリリリ…。遠くから、どこか切なく儚げな音色が運ばれてくる。ほんの少し冷たさの混じった生ぬるい風が、僕の肌をなでる。 夕方に吹く風というのは、どうしてこんなにも心地よく私を包むのだろう。夕飯

    • 私の身体は、私のものだから。

      女性というだけで、人間としてではなく男性の性的対象として見られるこの社会に絶望。 変えてゆこうぜ。 この服、顔、肌、体、性器は、お前ら男性の為にあるんじゃねえ。他人の為にあるんじゃねえ。 己が人として生きていくのに必要だからある。 許可なく人の物に触れるな。 お前の為に存在してる体なわけねえだろ。

      • 母の”それ”。

        母の”それ”を飲む。 ”それ”とは、母の考案したお湯割りゆずワインだ。 韓国呼称でいうマッスンブ(ゆず茶)を、スプーン2杯くらいコップに入れてからそこに赤ワインを注ぎ、更にお湯で割った飲み物である。 温かくて、ワインの風味がふわっと香る”それ”は、寒い冬にはもってこいの逸品だ。決して高級な赤ワイン等ではなく、スーパーで購入したスペイン産のB級ワインである。それがいい。 思えば私のなかに、母の”それ”は、幾つかある。 かぼちゃのミルク煮、ニンニクとちくわの炒め物、鶏肉

        • 山田詠美『蝶々の纏足』を読んで

          誰もいないリビングで一人、ペンを片手にこのようなことを記している。 ただの脳の思い付きにペンを馳せるのが案外楽しい時間であり、そうして紡ぎ出されてゆく文字の一つ一つを眺めるのが、また堪らないのである。 シンとした部屋に、僕の呼吸と空調の呼吸だけがこだまする。 小説とは、不思議な存在である。自己啓発本ばかりを貪り読んでいたこの頃の僕は、小説の魅力に再び憑りつかれた。 言葉を巧みに操る魔術師たちによる、魅惑の魔導書。 小説とはつまり、娯楽なのだ。自己啓発本とは、勉強と娯

        夏の合奏

          1年のうち14日間は、体を自由に動かせない...

          1年のうち14日間は、私は体を自由に動かせない。 その行動はまるで、何者かに銃で下腹部を狙撃され、血を垂れ流しながらも病院には行けず、寝るか座るかの体勢で傷跡をさすり激痛に耐え、やっとの思いで生きているようだ。 そんな苦しみに、毎年14日間も耐えなければならない義務とは。女性器を持つ人間として生まれたからには、”一生我慢しなければならない当然の苦しみ” なのか。当事者のセルフケア以外にも、医療の立場から、苦しみの改善や処置をする方法は無いのだろうか。信憑性のない様々な根拠

          1年のうち14日間は、体を自由に動かせない...