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一次情報にあたる

私個人の主観が大いに入るもの・意見については、noteのこのマガジンにて吐き出していくことにします。適当に聞き流して、共感されれば取り入れていただければと思います。

今回は一次情報(一次資料)についてです。

歴史を語るときに、一次資料なのか軍記物や伝承などの二次資料をもとにした話なのかを切り分けることが最近は多いですが(歴史に関してはここでは話がズレるので触れません)、受験情報についても同じことが言えるかなと最近思います。つまり、ある情報を聞いたとき、それが事実やデータなのか、誰かが解釈したり手を加えたものなのか、という視点です。

受験は情報戦ということも言われていますが、逆にこれだけ情報が溢れてくると、情報に流されてしまう危険性の方が高くなってきます。こっちではこう言っていた、あっちではこう言っているという情報の洪水の中で、焦りだけが増幅していき結果的に情報に振り回されているというケースも増えているのではないでしょうか。

それに対する処方箋のひとつが、一次情報・二次情報を切り分けるという視点だと考えています。同じデータソースを使っていても、それをどう切り取るかで解釈は180度かわるケースも珍しくありません。例えば、今年の2024年入試での渋渋の男子志願者増について考えてみると、これを男子の共学志向と言う人もいれば、御三家回避の弱気傾向とも取ったり、より積極的な学校選び(海外大学と東大を両天秤にかけたい保護者の意向など)の結果という捉え方もできます。ただもっと言うと、増加したのは第1回入試だけで、第2回・第3回入試は減少しているという事実もあります。このように、情報というのは切り取り方次第でどのようにも解釈することができるものです。

これらの情報全てを真正面から受け止めて反応すると、それだけで振り回され疲弊していくことになりますが、そのときに一次情報を持っていると、この人はこれを見てこう捉えているんだと客観的に受け取ることができます。むしろ、こういう考え方もあるよねと吸収していけば、情報に厚みが増していくことになります。

私のサイト(中学受験ウォッチ)はそういう考えをもとに、できるだけ一次情報に近いものをご提供しようと思って作っています。まあ、データの羅列ではつまらないので加工したり私なりの解釈も載せていますが、あくまで見やすくするためのひとつのガイドとして使ってもらえればよく、本質はデータの方にあると私は思っています。

これから各塾で入試分析会が行われますが、既に入手できるデータも多々あるので、それらを見て事前に色々考えておくことで、言われたことをただ鵜呑みにするのではなく、情報を裏付ける、もしくは別の角度からの情報として新たな気付きを得ることができると思います。そうすれば、塾のお客さん、ではなく塾をお客さん(情報を届けてくれる人)にすることができるでしょう。

もうひとつ、受験には一次情報があると思っていて、それが各学校の入試問題、いわゆる過去問です。

過去問は6年生後半で使うものでしょと思っている方も少なくないと思いますが、それだけではもったいないです。演習用教材としても非常に大事ですが、そもそも合格判定は偏差値でも倍率でもなく、入試問題の得点から行われるものです。当たり前の事実ですが、意外と忘れがちです。そしてそこで使われる入試問題と得点こそが最重要の一次情報だと私は考えています。

この学校の問題傾向は〜という話を聞くのもいいですが、まずは自分自身でぜひ問題を解いてみるといいと思います。中学受験の内容に自信がなければ国語だけでもいいと思います。何年分か問題を解いていくと、その学校がどんな子供を欲しがっているのかが体感的にわかってきます。これは、他人の話を聞いているだけでは絶対にわからない生の情報だと思います。また、入試までに到達しなければならない学習のレベル感も体感することができます。

とまあ偉そうに書いてはいますが、これは兄の6年生時、過去問演習に伴走して一緒に解いていたときに初めて見えてきたことでした。さらに受験終了後、学校別対策の記事を書くために、複数の学校の過去問を解いていく中で具体的に見えてきたことでもあります。

そもそも塾の教材も、元を辿っていけば入試問題に行き当たるわけです。その意味で、究極の一次情報は過去問というのが私の行き着いた結論です。

また入試分析会の話に戻りますが、その中では特徴的な出題として、学校名と共に入試問題が取り上げられると思います。そして、こんな問題が解けるようになる必要がある、そのための準備が必要ですと煽るわけです。ただ、数ある問題の中からごく一部を取り出したその問題を、本当に解ける必要があるのか、解けないと合格できないのかはまた別の話です。受験は資格試験とは違うので、全てができるようになる必要はなく、満点を取る必要もありません。これも結局は、一次情報を切り出し、誰かの解釈を加えた二次情報だと言えます。

私自身、兄の伴走を始めたときから、中学受験と書いてある本は片っ端から読み漁り、塾の話を聞き、ブログや動画で大量の情報を集めながら走ってきました。ただ、あとから気付いたのは、これらのほとんどは二次情報であるということです。それが故に、色々試しながら右往左往し、正体のわからないモヤモヤしたものを抱えながらエイヤで突っ込んでいく、そんな感じで受験期を過ごした気がします。

2回目の伴走はこれからなのでまだどうなるかわかりませんが、一次情報を意識できている今は、少なくとも前回よりは冷静に判断ができ、不安によって何かに飛びつきたくなる思考にはならないだろうなとは思います。

別に二次情報は不要だったとか切り捨てるべきという話ではなく、一次情報を持った上で二次情報を取り入れていくと、情報の解像度や厚みが増していく、そういう視点を持ったらどうかなというのがお伝えしたいことになります。ひとつの考え方として、何かの一助にでもなればと思います。

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