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紫乃と美甘の読書会 第5回『青の祓魔師』

このnoteは、2022年11月12日に行われた「紫乃と美甘の読書会 第5回『青の祓魔師』」のログとして執筆されました。
読書会のアーカイブはこちらから視聴できます。


※このnoteは紫乃の了承のもと美甘個人の独断と偏見のもとに執筆されているので、実際には話されたものよりもかなり美甘側に偏った内容になっています。



『青の祓魔師』とは

加藤和恵先生による少年漫画。集英社から、2023年3月現在28巻まで刊行されている。
悪魔の王・サタンの落胤である燐と雪男の双子の兄弟が、悪魔と闘うために祓魔師(エクソシスト)となり、世界中を巻き込む悪魔と人間の大戦争に臨んでいく物語。

【主な登場人物】
奥村燐
:主人公。サタンの落胤で、サタンから青い炎を受け継いでいる。祓魔師になるために祓魔塾で勉強中。
奥村雪男:主人公。燐の弟。サタンの青い炎は片目にのみ受け継いだ。兄の燐に先んじて祓魔師として活躍中。
杜山しえみ:ヒロイン。祓魔師になるために祓魔塾で勉強中だったが、とある事情で祓魔師への道を断念した。
藤本獅郎:燐と雪男の育ての父親。祓魔師だった。物語の冒頭でサタンから燐を守るために亡くなってしまう。
霧隠シュラ:祓魔師。雪男の上司で、獅郎の弟子。
メフィスト・フェレス:獅郎亡き後の燐と雪男の後見人。時の王・サマエルという別名を持つ悪魔だが、祓魔塾の塾長でもある。
ルシフェル:光の王の称号を持つ悪魔。秘密結社イルミナティの総帥。
サタン:悪魔の王。燐と雪男の父親。
ユリ・エギン:燐と雪男の母親。ふたりを産んですぐ亡くなった。

過去には何度かアニメ化、舞台化されており、昨年12月にはアニメの新シリーズの制作が決定したことが発表された。

ちなみにわたしはアニメは観たことがなく、青エクとの出会いは2017年10月の「舞台『青の祓魔師』島根イルミナティ篇」を観に行ったことである。

当時わたしは燐役の北村諒さんの大ファンで、彼が出演するという理由だけで様々な作品の舞台を観に行っていた。舞台を観るための予習のつもりで原作を買ったはずだったのに、気がついたら一番好きな漫画と言ってもいいくらい『青の祓魔師』の大ファンになっていた。出会いのきっかけをくれた北村諒さんには感謝してもしきれない。

原作はもちろん、舞台もとても面白かったので、ぜひ原作ファンの方にも観ていただきたい作品だ。個人的にはこの作品で西田大輔さんの演出にハマった。それからルシフェル役の横田龍儀さんがめちゃくちゃはまり役だったので、ミュージカル刀剣乱舞のファンの方にもおすすめ。

好きなキャラクター

わたしは『青の祓魔師』を読み始めた当時、推しキャラがいなかった。わたしは少年漫画はけっこうキャラ読みしてしまう性質なので、これは珍しいことである。しかし『青の祓魔師』は、特に推しキャラがいなくても読み続けてしまう、ものすごく強い引力がある物語だ。

そんなわたしがいま、狂おしいほど好きなキャラクターは、サタンである。

サタンとは、主人公の燐と雪男の実の父親であり、虚無界(ゲヘナ)を統べる悪魔の王である。基本的に実体はなく、物質界(アッシャー)に現れるときは、物質界の生き物を依代としなくては存在できない。

詳しくは後に述べるが、このサタンについて初めてきちんと語られた「過去篇」を読んだとき、わたしは「サタンを好きにならないひとはいないだろう」とまで思わされた。

サタンには、悪魔でありながらとても人間的な部分があり、もしかしたら『青の祓魔師』の中で最も愛というものに囚われているキャラクターではないだろうかと思わされる部分があった。

しかしジャンプフェスタ2020で行われた悪魔総選挙の結果では、15位という結果に。わたしの予想では圧倒的1位のはずだったのに、なぜ。

ちなみにわたしがサタンを好きになる前に、推しとまではいかないものの比較的好きだったキャラクターは、ルシフェルと八郎太郎である。

ルシフェルはサタンの息子たち「八候王」のひとり、「光の王」と呼ばれる悪魔であり、主人公たちと敵対する「イルミナティ」という組織の総帥である。悪魔としての格が高すぎて、物質界に長時間留まることができないゆえに、物質界への執着がものすごく強い。
八郎太郎は、詳しくは後述するが、青森に古くからいる土着神のような存在で、白い大蛇の姿を持つ悪魔である。人間の女を愛してしまったばっかりに、彼女が老いて死んでしまうのが耐えられず、未来永劫同じ姿かたちの娘が生まれるように呪いをかけた。

要するに、わたしが好きになったキャラは、みな悪魔で、しかも共通点と言えば「執着心が強いこと」だった。この読書会中、何度も紫乃とお互いについて「業が深い」と言い続けたが、わたしが好きになるキャラクターというのは、どの作品においても「執着心=愛が深い」キャラクターばかりなのである。

好きなパート

『青の祓魔師』では、多くの少年漫画がそうであるように、「~篇」という大まかな区切りがある。今回は特にわたしが好きな2つのパートについて語りたいと思う。

青森・八郎太郎篇

これは16巻から18巻の、燐と雪男がふたりで青森に行くパートである。
目的地は、ふたりの上司である霧隠シュラの故郷で、そこに土着神として崇め奉られている八郎太郎という悪魔と闘うことになる。

このパートは、燐と雪男がふたりだけで行動するところが子どもでと違っていて、それがとても印象深かった。

しかし話の中心はシュラであり、彼女の過去である。
『青の祓魔師』に登場するキャラクターは、過去が謎に包まれていることが多い。それは、それぞれのキャラクターにきちんと人生という物語が与えられていることの証左でもある。

わたしがこのパートを好きなのは、ビジュアル的美しさという要因が大きい。話のほぼ全編にわたって雪が降り続いており、八郎太郎も白い大蛇で、シュラの衣装も白い。漫画の本編は白黒なので、いつもより画面が白いことで受ける印象も大きいし、もしアニメ化や実写化された際にも、とても画面映えするだろう。

過去篇

過去篇は、25巻・26巻・27巻にあたる。燐が時の王・サマエルことメフィスト・フェレスの能力を借りて過去に遡り、自らの出生の秘密を知るという物語である。

燐と雪男の父・サタンは、この物語に置いてラスボスともいうべき存在である。物質界への執着を持ちながら、物質界を壊そうと目論む、とんでもない危険人物なのだ。でも彼がなぜそのような危険な存在になってしまったのかというと、その成り立ちには双子の母親であるユリ・エギンという女性の存在が大きく関わってくる。

そのサタンとユリとの関係について深く語られたのが、「過去篇」である。そしてこの過去篇を通して痛感させられるのが、加藤和恵先生のストーリーテリングの巧みさである。この物語の完成度の高さは、過去篇だけで一本の映画が撮れてしまうのではないかと思わされる。

それまでサタンは、時々現れるとんでもない悪の親玉くらいのポジションで、その人柄については深堀りされることはなかった。一方のユリも、「サタンの子を産んだ魔女」と言われるだけで、なぜサタンの子どもを身籠るに至ったのかは語られていなかった。

サタンは初めて出会い、そして唯一自分を対等な存在として扱ってくれたユリに愛情を抱き、それはいつしか強烈な執着へと変わってしまう。
ユリは、サタンを正しい道へと導くことが己の使命だと感じる一方で、まっすぐな思いを向けてくるサタンのことを、憐憫のような、愛情のような、複雑な思いを感じつつも受け入れるしかなくなってしまう。
そしてまたこのふたりの関係に大きく関わってくるのが、のちに燐と雪男を育て上げることになる藤本獅郎という祓魔師である。獅郎はユリを心の底から大切に思っていたのに、ユリがサタンと深く結びつけられていくのを見守ることしかできなかった。

これは前回の読書会でも述べたことだが、サタンとユリ、そして獅郎の三角関係は(そんな簡単な言葉で表現して良いのか分からないが)、「ハリー・ポッター」シリーズのジェームズとリリーとスネイプの関係に似ている。
愛したひとの子どもであり、憎んでいる存在の子どもでもある燐と雪男を育てた獅郎には、どれほどの苦しみと葛藤があったのだろう。

好きな表紙

好きな表紙については、好きなパートと完全に一致する。
まず単独で圧倒的一番なのが、シュラが表紙の17巻である。

先ほども述べたが、真っ白な中に、シュラの赤い髪と血痕が飛び散るさまが、ビジュアル的にとても美しい。

それから連作として好きなのが、過去篇の25巻・26巻・27巻である。

これまでの『青の祓魔師』の表紙は、キャラクターの全身を描いたものが多かった。しかしこの3巻は、顔面のドアップである。それだけですでに、これまでとは違う話をしているのだ、ということが分かる仕様になっている。
そして25巻はユリ、26巻は燐、27巻は雪男という親子三人が順番に描かれることで、血縁の話をしているのだということもはっきりと分かる。またこの3巻は中扉にもぜひ注目していただきたい。

燐と雪男について

『青の祓魔師』は燐と雪男、どちらもが主人公だ。
しかし比べてみると、燐はいかにも少年漫画の主人公然とした感じで、雪男はアンチヒーロー的な描かれ方をすることが多い。
燐はサタンから悪魔の炎を継いでいるので、幼いころから怪力で、暴れん坊で、とても強かった。しかし雪男は表面的にはただの人間と変わらず、身体も弱くていじめられっ子でもあった。

幼いころの雪男は、そのことであまり鬱屈していたような感じはしない。しかしいつの間にか雪男は、アイデンティティのあやふやさからか、常に闇落ちしそうな危うさを抱えることになっていた。

わたしが思うに、育ての父の獅郎が死んでしまったことのショックは、燐よりも雪男にとって大きかったのではないだろうか。獅郎が自分たち兄弟を守って、生かそうとしてくれていた、という事実は、獅郎だけは自分たちを何者であろうと愛してくれていたということの証拠になる。でもその獅郎を失ってしまえば、世界は彼らにとって、とても厳しい場所になる。

燐は自分一人でもしっかりと立っていけそうな強さがあるが、雪男はいつ道を踏み外すか分からない危うさがあるので、雪男のほうが人気があるのではないかと思っているが実際はどうなのだろう。

最新刊(28巻)について

この読書会が行われた一週間前の11/4に、『青の祓魔師』28巻が発売された。

わたしはサタンが大好きなので、この28巻の表紙を見ただけで大喜びしてしまった。この巻のなかで、サタンはユリのことなどもう何とも思っていない風に振舞っているが、本当は心の奥底ではまだユリのことを愛しているのではないかと疑っている。

最新刊のなかで一番驚かされたのは、雪男がもう完全に立ち直っていたことだ。
燐は正直、元から強いひとであったし、過去を知り、自分が望まれて生まれてきて、愛されていたことを知ったので、とても強い精神的な後ろ盾を得たようなものだと思う。
しかし雪男は、過去は見ていない。それでも燐との兄弟喧嘩を経ただけで、ここまで完全に吹っ切れるものだろうか。わたしが思っていた以上に、雪男は燐を信頼していたのかもしれない。

今後の展開について

最新刊でも気になる展開になっていたが、しえみについては今後改めて掘り下げられそうなので、また考えたい。しかししえみ周辺はまだ謎が多すぎて、正直どうしていまアマイモンと闘っていたのかもよく分かっていないので、次巻が出るまでにきちんと読み返しておきたい。

それから、これは紫乃による考察なのだが、メフィスト・フェレスがたびたび「今回は」「いつもそうでしたか?」などと、ループを仄めかす発言をしているので、その観点からも注意深く読み返したいところである。

おわりに

わたしはここ数年口癖のように「『青の祓魔師』を全人類読んでください」「『青の祓魔師』をよろしくお願いします」と触れ回っている。それくらい、たまらなくこの作品が好きだ。

『青の祓魔師』は公式Twitterもあるのだが、そちらで毎日のように誰かキャラクターの誕生日がお祝いされているのも好きなポイント。まるで19世紀ロシア文学ばりに登場人物が多く、それでいて読者が忘れてしまっているようなキャラクターにもちゃんと名前と誕生日が設定付けされているのだ。


というわけで、『青の祓魔師』への愛は語っても語っても尽きないので、(ほぼサタンについて語っていた気もするが)完結した際にはまた紫乃と美甘の読書会にて語りたいと思う。
それではみなさん、『青の祓魔師』をぜひ読んでくださいね。




次回の読書会は2023年4月1日20時から、「本屋大賞」をテーマにお送りする予定です!

これまでの読書会のログはこちらから。


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