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マラリアで倒れた僕を看病しながら勉強する少年

1998年12月、文化人類学のフィールドワークで滞在していたマリ北部の村でマラリアに罹りました。
最短の診療所まで約70km。この村には車はなく、診療所まで行くには歩きかロバに乗って約2日かかります。40℃(経験値w)の高熱で移動する気力も体力もありませんでした。マラリアの予防薬を治療薬として飲みながら3日間ひたすら高熱に耐えていました。
4日目、熱が下がり始め、関節の痛みも和らぎました。生き抜けた喜びを感じながら飲むお茶は格別でした。

少年は僕にお茶を入れてくれながら黙々と勉強していました。この村には電気も水道も診療所もありませんが、UNICEFが支援する遊牧民の子供たちのための学校があり少年もそこで学んでいました。ゴザでつくった小屋の入口から降り注ぐ日の光の中、その真剣に勉強している少年の姿はとても美しく、フラフラしながらもその光景を撮らずにはいられませんでした。

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少年の父親は、『サハラに死す』(ラクダでのサハラ砂漠横断の旅の途中、マリでなくなった日本人青年の手記をまとめたもの)の上温湯隆が亡くなる数日前に上温湯と出会った人でした。上温湯の死因を調査していた1984年に知り合い、1987年に偶然この地で再会し以来旧交を温めていました。

数日後、週1回の市に来た商人の車で村を出る時、少年の父親から言われました。

お前が、俺が知っている「マリで亡くなった二人目の日本人」にならなくてよかった

これには苦笑いするしかありませんでした。

追記

この写真は、たった150万画素のデジタルカメラ(FinePix500)で撮りました。この写真を見直す度に「写真」の本質は画素数に左右されるものではないとつくづく思います。


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旅と写真とガジェットと時々サハラ砂漠の話。