見出し画像

書くことは息をすること、眠ること

大学院生の頃、前日に書いた自分の文章を添削するのが朝の日課だった。

一日経って読む自分の文章からは、不思議なくらいに直すところが見えてくる。
出来の悪い院生で毎日辛かったけど、捻り出した文章を削って直していく過程は、
刀工が鉄塊を研いでは濯いで、刃を確かめてまた研いでを繰り返すことに似ていて
自分の思考の輪郭を自分の手で確かめながら進む、爽快な作業だった。

勤め人になってまあまあのしんどさも経験して、
私は多分、そうかそうでないかで言ったら断然繊細よりのタイプなんだろう、
と言うことが分かってきたとき、
同時に「書くこと」で精神的に深呼吸ができるタイプの人間かもしれない、とも感付き始めた。
現にTwitterはそういう使い方をしているし、何よりあ〜ちょっと伸びしたいなというノリで、なんか書きたいなと思うことに気づいたから。

論文は先行研究の整理から問題提起、検証から結論へと守るべき論理のオーダーがあって
その訓練を(文字通りヒイヒイ言いながら)したことはもちろん良かったのだけど、
それを経たことで、好きなように書き散らすことの喜びをいっそう強く感じるようになったのは、思わぬ副産物だった。

誰かに読んでもらいたいけど、誰のためでもない、
好きな肌触りのシーツやタオルケットだけ集めて眠るように
ただ好きなように書いたり書かなかったりする
そういう遊びが、人間には(特に繊細な人間には)必要なのだと思う。
書くことは、深く息をすること、眠ることに似ている。


写真と文/皐月

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?