見出し画像

「蛋白源」


*キャプション
 恨んでくれるな
 南無阿弥陀仏


 貴重な蛋白源、羊、鶏、山羊、馬、牛、豚は手当り次第、見つけ次第、手に入れる努力をした。
 我や先、人や先。
 食糧の補給がままならず、ある時、無い時、そんな予測は何もない。倉庫開放したら無茶苦茶にあるし、無いといえば、もう水ばっかり、その差は両極端の往来だった。

 武装している飢えた大集団の行く所、食事の時間帯になると戦国時代さながら、力は正義、生きるためには、徴発という至って人聞きのよくない家畜の殺風景があちらこちらで展開されてきた。
 各種の家畜の中でも、わけて皆に狙われたのは豚だった。
 でも、一発で失敗したら駄目。
 家畜類は、狭い日本と違い、みんな家のまわりで放し飼いしてある。
 だから、民家があれば、そのまわりには必ず何かが飼ってあった。
 逆に、何かがぷらぷらしておれば、そのあまり遠くない所に民家があった。
 豚が砂をかぶり、足を横に投げ出して、すこやかに大平の夢をむさぼっている。そこまでしずしずと、忍びよったまではよいが、彼等とて、何らかの変な予感というか、不穏な雰囲気のようなものを本能的に、神経に感応しているようだった。
 まず、耳が少々動く→→むくっと起きる→→起きると同時、後足でパッと大地を蹴って巨体が前に移動→→逃げられては大変!あわてる→→円ぴ(組み立て式のスコップのこと)が空を切り唸る→→お尻をかする→→更にあわてる→→打ち損→→残念!→→もう駄目→→走るは、走るは、…まっしぐら。
 去るは追わず、これは東洋の哲学。
 豚とりに出て、うまく逃げられた様子を、時間の順に書くと長いけれど、せいぜい1分か、30秒ぐらいの間のできごとである。
 逃げるのを2人がかりで後から撃っても命中しなかった。
 その早いこと、短足ながら実に早い。真っすぐに走って畑に入り、またたく間にその巨大な生きた餌は見えなくなってしまった。
 文字の通り、トンソウ(豚走→トン走)だ。その上に、1匹に逃げられるという異常事態が生じたら、どうなるか、さあ、大変なことになった。
 類は友を呼び、そのざわめき四方ヨモに広がり、あちこちの家の日影で寝ているのも、何が何やら分らぬまでも、むくむくと頭をもたげ、起きて立ち上がり、あたりの様子をうかがい出すから一そう始末が悪かった。
 もっとも、手に何かを持ち、らんらんと眼を輝かし、明らかに殺意のみなぎっている変なのが近よってきたら、逃げないのがおかしいでもあろう。
 だから、豚探しに出る初年兵への、古兵からの、指示と声援は、「1発でしくじるなよ。」だった。

 戦場になった土地の住民は、どこの、誰に、何を、どのように訴えたらよいか。
 畑の作物は荒され放題、耕土は軍靴に踏みにじられたまま、家畜は片っぱしから屠殺されていた。
 どの家でも、前庭の石臼に入れてある岩塩は藁で作った蓋だけ残し、中味は、それこそ、きれいさっぱりと、没収、家の中の食糧品と名のつく物、残留物は零。米櫃コメビツ(白米をしまっておく木製の箱)の中の米は勿論のこと、その中にれてから食べるつもりで入れてある、「まくわ」から、壷に入ったままの漬物類に至るまで、兵の手にユダねられてしまった。
 武力の前には、彼等農民は如何イカなる防止策とてあるはずもなく、日本軍兵士のなすまま。土間のかまどの大鍋で、小枝を炊いてゆっくりと、煮つめてあった、南瓜、ささげ、豚肉の煮物は、2~3人の兵により、まだ熱い大鍋をかまどより外して庭に持ち出し、各分隊に公平に分配。
 時には、やはり、大鍋の煮物をカゴに入れて搬出。あちこちで、満人の集団がこわごわと日本兵のすることをウラめしげに見ている。
 王道楽土の夢、雲か霞か、たわごと、うわごとの如く遙かな遠方に霧散していってしまった。
 東洋平和のため、聖戦、民族自決の機、後に続くを信じて、欲しがりません勝つまでは、など、日本の国民のためのスローガンなど、中国の民衆にとっては全く無縁な文字の羅列にしか過ぎない。
 常に、泥をかむり、被害が及ぶ一般民衆。

 しかし、中国民衆の3000年の歴史は、絶え間ない内乱と、革命、時の為政者の圧政の波間に見え隠れしながら、野草のように、たくましく生き続けている。
 何か身辺に起きても、メーファーズ、ときれいに諦め、自然のなりゆきに任せる雄大さ、又「冬の次には春がくるんだよ。」という、自然にさからわない彼等の人生観には学ぶべきものがあるように思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?