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【製材工場拡張工事】

 どんな製材所ができるのか、どんな青写真があるのか、私達にとっては全く縁のないこと。

 作業の第1条件は、まず、汗を出さないこと。
    第2条件は、余り体力を消耗しないこと。
 以上のことが作業することについての重要なポイント。まかり間違えば凍傷にかかるから、その予防は特に考慮しておかなければならない最大条件だった。

 ダイナマイトをしかけて岩盤をこわしていたが、その穴をあけたり、こわれた石を、2人1組で決められた場所まで運ぶことなどが作業の内容であった。
 作業はまず手頃な石の小さいのを見つけだしモッコや担架に入れる。
 そして、歩くのではなく、立っているのではなくうろうろするだけ。
 警戒のロ助があっちへ行っては「ベストラ、ダワイ!」、こちらへやってきては「ベストラ!」と怒鳴っていた。(早くせい!ということ)
 いくらロ助が耳のところで怒鳴っていても、日本兵の動きは鈍く、怒鳴って走っているロ助を冷やかに眺めていた。(場所によっては警戒兵が作業の監督もしていた)
 資本主義国にある企業としての製材所などは認めてなく、工場と名のつくものは総て国営しかない国柄だから、製材所とても、無論国営である。
 そこでも工事の作業監督は兵士が執銃してその任に当っていた。

 ソ連兵は、日本兵の監視をしたつもりでいただろうが、逆にいうと、日本兵の方も、ソ連兵の動きをよく見ていた。ダイナマイトを爆発させる合図があると、一躍元気を出し、作業現場より少しでも遠い所に行き、爆破音が聞えても誰も動きはしなかった。
 やがて、警戒のソ連兵が雪の中を、あちこちかけずり回り、「ベストラ!」「べストラ!」、とやりだし、だんだんこちらへきそうになると、やっと腰をあげた。
 日本兵の動きは、爆破の際の避難する時と、ラボーター、カンチャイ、(作業終了のこと)で、ダモイ、ラゲル、(収容所に帰ること)のための集合の時以外はすべてにわたり、緩慢、やるでなし、やめるでなし、仕事の能率、終了した量など全く考えるものではなく、「させられた。」という被害意識と、防寒対策だけが先行していた。
 そのくせに、自分にとって都合のよいロッシャ語だけは誰もすぐに覚えた。

 ところで、私達がロッシャ語を覚えたとは正反対に、ソ連兵の方は、ソ連側にとっては有難くない日本語をかなり覚えていた。
 日本兵が作業の時に言い合っていた「員数だ、員数だ。」(仕事のできぐあいは関係ない、人間がでておればよいよ、という意味のこと)も知っていて、「ヤポンスキー、インズウ、ワカリマス。」(日本人、員数のこと分っているよ、という意味)。
 「バカヤロウ!ヤポンスキー!」(日本人の馬鹿やろう!)とか、あまりよい言葉ではないけど、どの言葉にしろ、もとは私達から、彼等が覚えとったことには違いがなかった。

 この程度の日本兵を、いくら数だけ増しても、そんなに期待した程の作業能率が上がるはずはなかった。
 日本の国だけでなく、こんな労務者なら、どこへ行っても1日のうちにその職から追いだされることは間違いない。

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