【私小説】【タイスケ】


【ぼくたちはどうしようもなく、時代と運命を共にしているんだね?】

僕は首をかしげて、タイスケに尋ねていた。しかしそこに彼はいなかった。ぼくはタイスケのまぼろしを見ていたのかもしれない。

【フェス帰りに好きなバンドの話をしながら、町外れの自分の住んでいる部屋に女の子を連れ込みたいよ】

きざなことを言ったものだ。ぼくは今、看護師の女の子のヒモなのに。屋上から見る月が良かった。またタイスケが姿をあらわした。

【いけない、なんで僕は屋上にいるんだ。】

狐につままれていたのだろうか。

【タイスケ、タイスケ】

タイスケが響きとなって、さっきまで僕と歩いている気がしていた。いつもそう。タイスケは遠くにいても、近くにいてくれているようだった。

アバンチュールなリゾート気分はこの先もずっとぼくのものだ。なぜなら僕はオンガクをしているからだ。歌を唄えば、そこはぼくの聖地。楽器をならせばそこは、オアシスなんだ。誰もいない夜空に腹の底から叫んでいた。

2023年、その春、私はある男とすごした。レース中に心不全を起こしたスキルヴィングという馬の大ファンの男だ。天国に行ってもスキルヴィングという馬の観戦をつづけるような奴だ。

昼間から加古川駅のなかに設置された、ストリートピアノを弾いていた。原付バイクのヘルメットを被ったまま。にしても咳が止まらない。

そしたら斜めうしろから、声がかかる。【おい、ヘルメット被っておんがくしとったらあかんぞ】

【演奏中やぞ、おら】そう叫ぼうとする僕をなだめるように微笑んだのは、ロックミュージシャンのタイスケだった。6年ぶりの再会。

その男とわたしの物語りのスタートは、東加古川のライブハウス。床が大理石の展望ロビー。

ブラックニッカを片手に持っていたギター弾き。それがタイスケだった。

ボロボロの機材ばかりの、世界一安い音楽スタジオで共同制作をした。アンプはすぐにキンキン鳴りだし、ハウリング。海外のラジオが混線することもあった。そんな時は、知らない国のラジオに、2人静かに耳を傾けた。チップスというスタジオをでると空には綺麗な月が浮かんでいた。

ライブのリハーサルでは、耳栓がわりに、耳の中に噛んだガムをつめこんでいた。きき耳は左。絶対音感の持ち主には、ライブハウスのモニターの音が酷だったのだろう。だがしかし、耳にガムを詰め込むことは共感しがたい必殺技。

水はひとつの場所をめざして
流れていくし
あなたはいつも
地面にひっついていられる
海の中を泳ぐときは
なんだか全てが曖昧で楽しい

「これはギリシャの有名な詩人の一節なんだ。」
タイスケが教えてくれたことが嬉しくて、ぼくは詩の意味も知らないのに、感極まっていた。のちに、そのコトバがタイスケが14歳のときに、書いた文章から引用したものと知るまでは。ばかにされた気持ちになった。顔が赤くなって、熱くなった。少し汗ばんで、その文章を読み返したら、不思議と涼しくなった。タイスケの弾く荒削りのギターは丁度そんなだった。

野宿旅。瀬戸内海に浮かぶ夜の船に忍び込んで夜を明かしたこともあれば、淡路海峡大橋のしたで泊まったこともある。横殴りのつめてえ雨。その時にはお調子者の2人も黙り込んだ。

お好み焼きの夢を見るとき、いつも、口をあけてたべようとすると、目が覚めてしまう。

フェリーのデッキでギターをかき鳴らしていると声をかけてきたのが、うつ病のキーボーディスト、まさ。

【オンガクは嘘をつかないね】

かん高い声で、ある夜そいつは絶叫した。
船客がみなこちらを見た。目立ちたくないぼくは
顔を真っ赤にした。なんて恥ずかしいセリフ

【オンガクは嘘をつかないね】

【いいね】

と誉めてやると

【音楽は人生だよ?】

より一層、恥ずかしいセリフがきた。自分の思いを素直につたえられる、まさに対して、内心しょげていたのかもしれない。

【違うよ、人生は音楽なんだよ】

自分でもわからないまま、教え返していた。
感動と興奮をうまく人に伝えられないんだ。そんな僕を人前で恥ずかしめないでよ。

結局タイスケは、軽トラで北海道へいき、出会った女と恋をしたが、婚約破棄をされたことを期に、文字通り、婚約者を前に壁に頭をたたつけ。公共の場で血を流した。電撃ディストーション。3つの都道府県のPOLICEから追われ、逮捕され、挙げ句の果てに盛岡の精神病院へ入院した。こやつが公衆電話からかけてきたときは、ぐうも言わさぬほど、びっくりした。夜の窓から脱出したいと連呼していた。月明かりが味方してくれるさ。スキルヴィングが天国から微笑んでいるからなんとなく頑張れとだけ言っておいた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?