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その深紅のバラをください。

思いのほか外出先で時間がかかり、夜遅くなってしまった。
電車を降りてバスの発車時刻を確認したら、休日の夜ということもあって、運悪く30分近く来ない。
風も強く吹いていて、一層疲労感が増していく。

タクシー乗り場には、2、3人が並んでいる。
しかしタクシーが次々とロータリーに戻ってきているのが遠目でも見えていた。

乗っちゃおうかな。
コレが後に、深紅のバラを3本買うことになる。


数人のお客さんが居たものの、タクシーを待つ列は順調に進み、すぐに自分の番が回ってきた。
最近多くなってきた次世代タクシーだ。セダンタイプより乗り降りしやすくてとてもいい。

行き先を告げて、ホッと一息つこうとした時、運転手さんが【超・超話し好きタイプ】だと気がついた。

(あぁ〜今日は静かに乗っていたいんだけどなぁ)

普段なら別に世間話をしていても、全く興味の無い野球の順位の話をしていても構わないのだけれど、今夜は勘弁して欲しかったなぁ。

どうしよう。

ダンマリはマズいよなぁ。家の方向に帰るから、場所覚えられても怖いしなぁ。
あぁ、そうなのか…この辺に住んでる運転手さんなのね。ますますマズいよね。ん〜どうしようかなぁ。

なんで客側が気を使って、マスクの下で苦笑いしつつ相手をして「ソレは大変でしたねぇ〜えへへ」とか言ってんだろ。
今は運転手さんの移動式憩いの時間か?
イヤ、コチラとしたら料金は取られるし、働かされてるし、まるでブラック××…??

家の近くで降ろしてもらうのはやめよう。通過して、あのスーパーまで行こう。買い物しなきゃダメだったの!の作戦に変更だ。

疲れてるからタクシーに乗ったのに、更に疲れた。
家を通過して、1ブロック先の大きめなスーパーにつけてもらった。

料金を支払い、気分を変えるべく、店内に入った。
コレと言って欲しいものや必要なものは無いけど少しは買わないと、コレはコレで釈然としない。
重いものは持ちたくないし、お酒は飲めないし、食欲もないし…

レジ横に、スーパーにしてはちょっと立派な花屋さんが入っている。ガラスの引き戸が付いている冷蔵庫を持っている花屋さん。その場でリクエストに応じて、ブーケも作ってくれるという。

花束は苦手だけど、花は好きなのでじっと眺めていた。

夜遅いこともあって、カラのバケツが幾つか水だけ残してそのままになっている。
きっとあそこには、仏花の束があったんだろうな…
かすみ草の欠片が落ちてる…随分売れたんだ、へぇ〜
ユリかぁ〜綺麗だけど匂いが苦手だからなぁ…

あぁ、バラにしよう。2〜3本でもカッコがつくから
ちょうどいいや。
……なんか、ちょっとずつ違う赤ばっかり並んでる店だな。林檎の紅玉っぽいのやら葡萄の紫に近い赤いのやら朱色に近い赤っぽいのとか…
POPが付いてないから、何色とかって言えないな。
なんて言って頼めば正解のゲーム?
アレとかそっちのとかでいいのかなぁ…。

というか、さっきから側で動き回ってる店員さん、気が付いてるよね、私が冷蔵庫眺めてるの。
なんか声かけてよ〜
いらっしゃいませとか、お決まりですか?とか
何かしら声かけがあるものなんじゃないのかなぁ。
えぇ〜と、もう3〜4分放置なんですけど。

このまま一気に踵を返して帰ろうか、
「すみません!」と店員さんを呼び止めようか
迷いに迷っていたら、背後から別の店員さんが
「お客さんがさっきからお待ちじゃないか!」
と大きい声を出した。
ビックリ&ドッキリしていると目の前店員さんはやっと動きを止めて、私の視界に入ってきた。

「お決まりですか?」

なんて言えば一発で通じるか……


「その深紅のバラをください。3本。」

一気に言った。
シ・ン・クなんて、今まで口にした事ないのに、
スラっと言えちゃった自分にドッキドキ。

思った通りの深紅のバラを店員さんは手に取り、
贈り物ですか?と尋ねる。
いいえ、自宅用です、直ぐだから新聞紙にでも包んで下さいね、なんて言ってみた。
まるでバラを買い慣れた客みたいに。

疲れたまま冷たい風に吹かれてバスを待ち、家に帰るのも良し。
タクシーで束の間の良い人を演じて、益々落ち込みそうな自分を、3本の深紅のバラで立て直すも良し。

この頃の私は、後者を選んで自分の御機嫌をとっている。