国語表現の授業〜提出物より①


作文 私たちの同居人〝ゴミ氏“

 ゴミは、私たちが生活してゆく上で、必ず出てしまうものである。野菜をどんなに上手に料理しても、食べられない所は捨ててしまうし、ガムを食べてもあめを食べても、包み紙までは食べられない。
 そんな生ゴミとして出されるゴミが、今処理に困るほど、大量になってしまっている。私の住んでいる〇〇市でも、処理しきれなくなっており、婦人会などで〝ゴミを減量するにはどうしたらいいのか“と、話し合いをしている真最中である。しかし、今の所、なんの解決策も生まれていないのが現実だ。
 どうしてこんなに増えてしまったのだろうか。一つには、物が豊かな時代になったので、食べ物などをそれほど大切に使わず、まだ食べられるところがあるのに捨ててしまったりするからだろう。
 もう一つはっきり言えることは、どんな商品も、必ず包装紙でくるんであったり、ラップやビニールに入っていることだろう。この紙やラップ、ビニールも〝ゴミ“として各家庭から出されるからである。これらもりっぱにゴミの一員として、人間を困らせている。そして、昔は自分の庭で燃やしていたような紙くずさえ、出せば市役所がもって行ってくれるし、猫の額のような庭では火を使えないなどの理由で出してしまう。これも量を増やしている原因の一つだと思う。
 今日本は、物が豊かになった分、ゴミも増えてしまい、幸せな生活の裏に、暗い問題も抱えている。
各家庭で出すゴミの量を、最低限にするのはもちろん、食品会社や各企業も、なるべくゴミとなる紙やラップを使わないようにしたりしないと、今に私達はゴミの上で生活しなくてはいけなくなってしまう。
 ゴミと共に生活しなくてはいけないのだから、もっと考えて、上手につきあって行くべきだと思う。


先生の評価

題の付け方  うまいですね
論の進め方が段階を追っています
自分のこととしてよくとらえています
評価A
この学校はどうしたらいいと思いますか

___

高校3年時、国語表現の授業で提出した作文である。
1980年代末の話なので、まだ容器包装リサイクル法も無く、地域によってはだいぶユルユルな分別で済んでいた頃だ。

自分の書いたものだけれど、なんともガチガチで
面白みはない文章だなぁと思う。
いろいろ悩んだり、頑張ったりして虚勢を張らなくちゃやってられない時期だったので、仕方ないのかもしれないが、まあひどい…今もガチガチだが。
きっとコレは、変わらないのだろう。

しょうがない、今までやってきて出来上がったのが
今の自分なんだ。
自分に自分でハナマル。