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第39回 出発のあさに

 自分がかつて「出版」した本を読む機会があった。
 主に、自分で書いた海外旅行のエッセイをまとめた小さな文庫本である。僕はこの本を作ったはいいものの、一冊をのぞいて全て5人くらいの人にあげてしまい、自分でとっておいたぶんはどこかに行ってしまったので(もしくは、母にあげる分があるので、実家でいつでも読めるからいいや、と思って自分の分を確保しておかなったのかもしれない)長い間その本を読むことができなかった。昨日だいごさんの家に行って、ようやくそれを久々に読み返すことができた。
 その頃の僕は、割に感傷的なことを書く人間だった。今でもそうかもしれないが、でも少しそういう文章を書くことを恥ずかしいと思っている、と今日カレーを食べながら思った。ああ、そうか、また今日も僕はカレーを食べたんだな。昨日もお腹いっぱいカレーを食べていたことに気がつかなかったな。
 でもじゃあ、僕が、海外に行ったりして、海外のジャグラーと出会ったりして、何も感じなくなったかというと、そんなことはないのである。むしろ出会いの機会は増えていて、その度に何かを感じ取っている。しかしそのことについて、感慨の質感をなるべくそのままに封じ込めておこう、という意図でエッセイを書くことがしばらくなかった。それは、再び言うが、とりもなおさず僕が「恥ずかしさ」を感じていたからである。

 でも、本当はそういう感慨にこそ人生の楽しみを見いだしていたんじゃないか、ということに、外でふりしきる雪を見ていて、ふと思い当たった。

※※※

 部屋の中に一人でいるのはとても満ち足りた気分であると同時に、それまで人がいた気配が全くなくなった、という文脈で孤独を迎えると極端に寂しいものである。さっき、ボクダンが家を出て行った。一ヶ月間日本をめぐる旅をしていて、初めの頃は彼女と一緒にやってきて、東京、横浜、秋田、岩手、福島、北海道なんかを回って、今度はその彼女のジュリエットが国に帰ったので、一人で、僕と一緒に京都や大阪に行き、ジャグラーと交流したり、美味しい食べ物を食べたりして過ごした。帰国は明日なのだが、今日の夜は東京に泊まるよ、と言って、横浜にある僕の家から、雪の降る寒々しい外へ、ビニール傘をさして出ていった。

 なぜだが僕は、英語ないしは他の外国語で喋る時に、日本語では言えないような話ができる。心の奥底で自分が抱えているもやもやしたものを、自然に話すことができる。二十数年使ってきた母語と違って、直截的な表現しかすることができないという制限に由来しているのだとも思う。そして同時に、相手にどう思われるか、ということよりも、まず伝えること、が第一の発話の目標として据えられるから、より自分のことについてより正直に言いやすいのだと思う。そういうところがあるから、ボクダンに対しては、今まであまり日本人の友達に対しては打ち明けたことのないようなことまで話して、同時にボクダンも、過去にあった辛いことなんかも僕に話してくれて、忌憚のない会話が多くあった。きっと僕は、外国に住む友達と交流する上でそうやって普段見せないような部分を表すことができるから、余計にそのことが好きでいるようにも思う。

 出発の朝は、トーストを焼いて一緒に食べた。それまで散々一緒にいたから大事なことを話す機会はもっとたくさんあったろうに、こうやって最後の瞬間になったことで、今まで話さなかったことをまた、話し出した。一人で旅をする時にどういう風に寂しくなるか、といったことや、20歳前後の時期に何をしていて、どういう将来を目指していたか、ということ。
 ふと僕は、以前トルコから来た風来坊を家に泊めた時のことも思い出した。エゲハンというその男は、横浜の路上でブレスレットを売って、ヒッチハイクで旅をしていたが、彼とは、一回お酒を飲み、その後一晩うちに泊めただけだが、その少しの間だけでもお互いの考え方が似ていることを発見し、別れの時には、なかなか寂しい思いをした。そんな、短い期間で、仲良くなった人のことを思い出した。

 ボクダンだって、前から知っているジャグラーではあったけれども、別にまともに話したことはそれほどない。でも、やっぱりお互い話す時は、大体何を言わんとしているのかがすぐにわかるから、心地よく会話が進む。もうちょっと話そうかな、とも思ったが、出発を見送って、自分の仕事に取り組むことにした。

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