第8回 油断すると、無批判に何が「よいことか」を決めつけてしまっている
2019/12/07 日記
朝から、いつも行っているコワーキングスペースの店番。9時から18時までだが、ものすごくあっという間に感じる。よくある話ではあるが、特にこの店番をしている最中は、信じがたいくらいに一瞬で9時間が過ぎ去る。この時間感覚の変容については、結構真剣に考えてもよい。
昼は大戸屋。4人で行く。うちのコワーキングスペースは、昼ご飯を希望者で食べに行く。この時間は好きだ。好きなんだけど、一食あたり1000円弱の出費は、しょっちゅうは続けられない。
翻訳の仕事が数日来ていない。なのでPONTEのページの改装の、前段階に着手する。本当は別件でインタビューを記事にまとめないといけないのだが、店番中でイヤホンをするわけにいかず、音声を確認できず、進まず。一応、すでに起こしてある分で、部分的には書いた。不安がもたげるのをかわす術が少し身についてきたような気もする。
夜、翻訳をもらっている会社の忘年会と称した小さな食事会があった。「会社」と呼ぶとずいぶん大きな組織のようだが、おそらく社員の数は総勢10名いない。ものは呼びよう。僕だって「編集長」なんて名乗っているが、自分が編集長であるという自覚なんてほとんどない。でも不思議と、そういう言葉の積み重ねは自分の意識を少しずつ醸成して行動に影響を及ぼす。実利があったりする。ないときもある。弊害になることもある。
横浜駅徒歩15分くらいのイタリアンに行く。
僕は普段は、朝は食べたり食べなかったり。昼ご飯は、無印良品の一番安いカレーにパスタを和えて食べる。(たまったポイントで定期的にまとめ買いができるということと、添加物が入っていないし、おいしい、ということがおもな理由である)夜は、めんどくさければすき家か何かを食べるか、また全く同じパスタを食べたりしている。これは今現在のやり方。とにかくまぁ、そういう俗に言う「いいところ」には機会がないと絶対に行かない。久しぶりの、"高級"な食事をした。会社の人たちと初めて会って(基本がリモートなのでこの4ヶ月で他の人たちとは会ったことすらない。仕事をくれる人とも、週1回くらいしか会わないし、ほとんどちゃんと話したこともなかった)話ができて、しかも面白かったので、そういう意味で、いい食事、であった。実に。料理も、美味しかった。このぐらいの規模の組織になら、ゆるく、属すのも、良い。片足つま先だけ、突っ込んでおいても心地よい。
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油断すると、無批判に何が「よいことか」を決めつけてしまっている
昨日の食事で話題にのぼったのでオリエンタルラジオの中田さんがやっているYouTubeチャンネルで、5Gに関する授業を見た。すごくわかりやすいし、自分が素人であることを隠さずそれでも伝えられる部分を伝えているのがよい。
同時に「成功すること」がよいことである、という価値観を内在化しているのが、それを意識せずに見ている視聴者が多いとしたら危ういな、と思った。始めに行っておくが中田さんは別に悪くない。
もちろんそれはこのビデオだけじゃなくて、全てのことに言える。まずは自分自身が、自分の身体に聞いて、「何が一番幸福なのか」というものさしを持っているのが一番だ。
「評価をするときの、疑いえない最後のどん詰まり」は、自分で意識的に作らなければいけない。
僕が一番の前提にしているのは、「自身の身体が健康で、幸福だと感じている、というのはいいことである」という一点だけだ。それにそぐうのであれば、「5Gの未来を知らずに、のうのうと生きる」ことだって、自分という個にとっては、幸福な選択肢になることもある。
理屈でいったら、それだと乗り遅れることもあるよ、ということ自体に、もちろん異論はない。むしろ僕は「時流に乗り、それで成功すること」を気持ちいいと思うであろう自分のカケラがあることも認識しているから、その部分の自分で、この授業を聞けば、ああ、なるほどね、ワクワクするな、と思う。
これこそ、批判的思考、と言って差し支えないと思う。何がいいか悪いかは、自分自身の感覚を一番のものさしとし、それに嘘をつかないというのが、判断する、批評する、ということだと思う。
いや、もちろん、中田さんだってそういう本質は絶対わかっていてやっていると思うので、これは単に受け取る側の問題である。
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