靴職人

 靴職人が、絵を描く、歌を歌う。

 それを見て、そんなに色々手を出すんじゃない!と怒る人が居る。

「君にとって、何が本職なんだ?」と問う、非難を込めて。

「それをやっている時、それが本職です」という答えに、

「どれか一つにしなければ、やっている事に対して失礼だろう」と、その人は言う。

 餃子を食べていたら「餃子なんか食っていねえで、靴を作れ!」と言う人が居た、という。

「〜なんかしていないで、〜をしなさい」と言う人がいる。

 人のことに口出しすること(領海侵犯)が、如実化してきた要因にS N Sの存在が大きいんじゃないか、とワシは思う。

 腹の中で思っていても口には出さずにいたことを、自分の顔を明かさない状況なら出すようになった。

 自分を知られずに他人を傷つけることは、卑怯な行為だという認識がその人にはないのだろうか。

 その人の想いや考え生き方を知らずに何か言うのは容易い、いや、知らないからこそ安易に口を出すのだろう。

 今、一見平和に落ち着いてるように見えていた池の中の水がかき回されているんじゃないかと、ワシは感じている。

 自由に生きようとしていたり、自分に正直になろうとしている人を危険人物と感じる人が、顔を隠して誹謗中傷を行う。

 看却下(かんきゃっか)照顧却下(しょこきゃっか)という言葉がある。自分の足元を看よ、自分の足元を照らし顧(かえりみ)よ。という意味らしい。

 ワシが、顔を隠して人を傷つける人のことを嫌だと思うのも、自分の足元から目が離れているのだろうか?

 嵐は、浄化の一環であれよな。

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