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母の生い立ち1

私自身の言葉で書こうとしていましたが、なかなか時間が取れないままになっています。なので、25年くらい前に母が書いた文章をリライトすることにしました。長文になりますので、分割して載せます…よかったら読んでやって下さい。

 私は生後1年ぐらいの時ポリオにかかり両下肢の機能を失ってしまいました。でも子供の時から這い回って大きくなりました。母は厳しくしつけてくれましたので、おかげで自立心が育ったのじゃないかと思います。でも小学校にも行けず、二十歳まで家から外に出たことがありませんでした。教育は家で学年ごとに教科書を揃えてもらって、母や姉から中学ぐらいのことは習いました。後は通信教育で好きな絵を描いたりしていました。父は私が12歳の時に亡くなりましたので、母は3人の子供と祖母の生活のために旅館に勤めに出ておりました。祖母と家事を手伝っておりましたが、母を何とか楽にさせて上げたいと思っても外へ何かを習いに行くことも出来ず悩むばかりでした。
 その頃、身体障害者の会があることを近所の方に教えてもらい、会に入って多くの身障者がおられるのを知りました。会からのリクリエーションで奈良に連れて行ってもらう機会があり、その時一緒のバスに乗っておられた両下肢マヒの方が奥さんに負ぶわれて参加されていました。その方は、家族中で友禅型屋を太秦で自営されていました。話しかけられて、私が絵を描くのが好きだと言いましたら、型を作るのに必要なトレースをしないか、家に来てくれたら教えてあげると言ってくださったので、初めて外へ出ました。
チェーンを手で回して動く三輪車のような車いすをいただいたばかりでしたので、私はうれしくて30分ぐらいかけて通い、手ほどきを受けました。この時はまだ若かったし力もありましたので、2階の仕事場まで何とか手で上りましたが、お便所が庭にあるので履物を履いて段を上がらなければ入れなかったのです。奥さんが「抱えてあげるから」と言ってくださるのですが、体が拒否反応を起こしてお腹が張っていても催せないのでつらかったです。それで、朝から水気を断って、帰るまでトイレを我慢しました。
 仕事を習う根は人一倍あったのですが、慣れるにつれて男ばかりの中で世間ずれしていない私はからかいの対象になり、今でいうセクハラを受けたりするので、そこを止めました。そのことは誰にも言えず、いじめに遭っている子供の心境と同じでした。

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