柔道のことば:「柔道」と「JUDO」論争

川戸湧也(@yuya_kawato9090)です。
今年購入したUNIQLOのシームレスダウンのクオリティに感動しています。温かくてかさばらない。最高じゃないですか。
UNIQLOさん、チャンスですよ。笑



さて、今回はメディアで語られる際によく用いられる「柔道」と「JUDO」について解説します。
先日、SHUN(@plassper)が書いてくれた記事の中にも登場していましたね。


まず、結論からいうと「柔道」と「JUDO」論争なんてものははありません。・・・というか「柔道」と「JUDO」に分けて考えることはナンセンスとしか言いようがないのです。

「仲間の記事を容赦なく切り捨てるのか!」とお思いかもしれませんが、そういうわけではありません。私がこのように考える理由は以下を読んで頂ければわかるかと思います。苦笑
(本稿末尾に「追伸」を記しています)



それでは詳しく解説していきます。

まず、「柔道」と聞くとどのようなイメージでしょうか?
試合開始と同時に両手を広げて…
お互い組み合って、技を掛け合う…という感じでしょうか。
あるいは常に一本を狙っているスタイルといった印象もあろうかと思います。

一方の「JUDO」はどうでしょうか?
試合開始直後から前傾して手を前に出し、組み合わず、小さなポイントの積み重ねか反則によって勝とうとするスタイルという感じでしょうか?

「柔道」および「JUDO」という言葉に対して、このようなイメージがあるのではないでしょうか?
そして、日本人選手は「柔道」をしていて、海外の選手ら「JUDO」をしている…というのがメディアで語られる「柔道」と「JUDO」論争だと思います。


なぜ、このような言い方が定着したのでしょうか?
それは柔道競技の歴史と関係しています。

柔道は1882年に嘉納治五郎師範によって創始されました。創始されたあとは嘉納師範だけでなく、山下義韶、前田光世、川石酒造之助、そのほか多くの柔道家によって世界中に広められました(詳しくは別の機会に!)
その後、ヨーロッパを中心に国際柔道連盟が組織され、競技として発展していくことになります。

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