第五話 「ナンパは服装がちぐはぐな女を狙え」という言説の深層にあるもの
ちょっとググればそのてのページが大量に出てくるが、ナンパをするときは服装はきちんとしてるのに靴だけが汚いとか、ネイルだけボロボロとか、逆に服は安っぽいのにバッグだけ高級ブランドだとか、季節感が合ってないとか、髪がプリンになってるとか、歩くのが遅いとか、とにかく「見た目にスキのある女を狙え」と教唆しているものが多い。
たいていその理由は、そういう女は注意力に乏しいとか、自己プロデュースが下手なので承認欲求が満たされておらずすぐセックスに持ち込みやすい――ようするに「トロい」女である――という意味のことが書かれているが、そうした記事はほぼそこらへんの似たり寄ったりの文章をコピペしているだけなので、本当のところそれが何を意味しているのかはまったく考えていない。
かといって僕がそのことをよくわかっているとは言わないが、少し思い当たるふしがあるので書いてみる。それはきちんとした服に汚い靴というのは「セリーの乱れ」なのではないか、ということだ。
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以前ブログで触れたことがあるが、「セリーの乱れ」というのはつまり所持品って統一感がないと浮くよねという話である。
……さすがに簡略化しすぎた。これでは何も言ってないのに等しい。
つまり消費社会においては、商品とはそれ単体というよりも背景にある生活スタイルや階級(ファッション誌ではこれをオブラートにくるんで「クラス感」などという)を構成するものであり、その背景にあるものを、音楽用語の音列(セリー)を用いて「生活のセリー」という。
で、新しくモノを買うということは、すでにある「生活のセリー」に馴染むか馴染まないかという問題が常に生じる。
馴染めばよし、馴染まなければ緊張感を生み、やがて新しいモノが異物として排除されるか、または従来の所持品が渋々、新しい所持品に合わせて変化させられるのである。
上野千鶴子はこのことを、ピアノの例を持ち出して次のように言っている。
話を戻すと、きちんとした服に汚い靴のようなちぐはぐな格好というのは、この「セリーの乱れ」を解消しないまま人前に出ているわけで、それは生活の制御に対する意識が希薄であったり、なにも目標や計画のようなものを持っていないのではないかと思えるわけですね。
そういうことにこだわらない性格なのか、能力が不足しているのか、或いは一時的にそうした精神状態にあるか……いずれにせよ異物の侵入を許すこと、いやそもそも異物とそうでないものをあまり区別していない、精神的な免疫不全を指し示すシグナルだからこそ、言ってみれば「異物そのもの」であるナンパ師から狙われるのではないか。
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そう思っていたら、たぶん偶然だろうけど上野千鶴子のピアノと似たことを、精神科医のウジェーヌ・ミンコフスキーが論じているのを知った。
ミンコフスキーはこうしたケースを「貧しい自閉」と呼び、自閉的傾向を創作活動や自己表現に繋げて成功している「豊かな自閉」と対置した。だがいずれにせよ、彼にとって自閉とは「現実との生きた接触の喪失」である(いわゆる「自閉症」とは違う概念なので注意)。
そうであるならば、本来はイレギュラーなはずのナンパ師との遭遇も、もともと彼女にとって疎遠かつ茫漠たる「現実」の一部であるにすぎなくなり、平常時との区別が曖昧になってしまうのではないか。ちんこを咥えるのもトーストを咥えるのと似たようなものになりはすまいか。言い過ぎか。
ナンパ師が狙う〈徴候〉は、逆方向から見ればこうした精神疾患の〈徴候〉でもある。
もちろん彼らがそんなことを直接考えてターゲットを選んでいるわけではないし、スキのある女性が全員が全員精神疾患持ちなわけでもないが、「スキに付け込む」ことを敢えてするというのは、そうしたグレーな要素と完全に無縁ではいられないだろう。
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身だしなみに気を遣わなくなるというのはもともと、さまざまな精神疾患の徴候として見られるというのは周知なのだが、以上一箇所のみがおかしい、アンバランスという点で掘り下げてみた。
少々大風呂敷になったかも知れない。
まあ、たんに朝ものすごく忙しかったとか、前の夜にそれ以外の服をぜんぶ盗まれただけかも知れないですけどね(全然おあとがよろしくない
【参考文献】
上野千鶴子『〈私〉探しゲーム』(旧版を参照したがリンクは増補版にしました)
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