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栄えるのじゃ!

 日曜日の夕方に愛聴している、一話完結の大河ラジオドラマ『NISSAN あ、安部礼司 〜 beyond the average』、通称「安部礼司」は、前半はまったりした笑い(ゲラゲラ笑うものではなくおなじみのキャラがおなじみのボケやツッコミをする程度)、後半になると泣かせる、エンターテイメントのツボを抑えた逸品だ。
 「前半は笑い、後半は涙」というと吉本新喜劇を思い浮かべるが、涙(感動)の方向性がちょっと違う。吉本新喜劇の場合は人情、とくに親子の情に落とし込む場合が多いが、安部礼司の場合は仲間たちとともに悩みながら成長してゆくお仕事エンパワーメント系である。

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 さて日曜日の夕方といえば「サザエさん症候群」の時間帯である。ここで読書のみなさんが一発で憂鬱になる画像を貼らせていただく。

 ……はいすいませんでした。

 「サザエさん症候群」。つまり休日も終わり、明日からまた仕事、ああ憂鬱だなあという感情だ。
 ちょっと調べたら、「サザエさん」の放送枠が18:30-19:00、「安部礼司」が17:00-18:00なのでややズレるといえばズレるのだがだいたい同じといえば同じである。
 で、こういう時間に「仕事っていいものなのかも……明日はちょっと頑張ってみるぞい」٩( 'ω' )و と思わせるようなドラマを流すことで、全国の多くのリスナーの気持ちを励まし自殺を防いでいる、まことに徳の高いドラマなのである。
 やりがい搾取ではない、本当の意味での「やりがいのある職場」というのはまさしくこれは大人のファンタジーであるわけでして、我が国においてはハイファンタジーと言っても過言ではないわけです。それにしても、登場人物がやたら日産車ばかり買いたがるのが不可解ではあるけれど。

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 さてそんな「安部礼司」の、主人公の後輩に鞠谷アンジュという明るく元気なOLがいる。ルックスもよく(登場時は「アイドル並み」と言われていた)、幼少時にいじめられっ子を庇ったエピソードもある正義感の強い性格。仕事も、直情的で曲がったことが嫌いなためにたまに失敗することもあるが基本的には有能で、最近は中の人の都合でその能力を買われ経営企画部の課長に引き抜かれて登場回数が減ったものの、依然として同作の主要かつ人気キャラクターの一人である。
 そんな鞠谷アンジュの決めゼリフに「栄えるのじゃ!」というのがある。

PASH UP!「あ、安部礼司です。」第一話

 この言葉、ググっても安部礼司以外には出てこないので彼女独自のセリフだと思うが、一見してわかるように、普通は国とか交易都市とか平氏とかに使う「栄える」という動詞を個人レベルに当て嵌めているところに特徴がある。
 つまり「走る」とか「食べる」とか「戦う」とかならわかるが、個人レベルで「栄える」って何をすればいいんだ? と、ちょっと脳に揺さぶりをかけているのである――まあある程度抽象的だからいいのであって、あまり具体的なものに還元してしまってはいけないのかも知れない。
 この「栄えるのじゃ」というセリフが、上述の彼女のキャラとも相俟ってかなりいい味を出している。

 「栄えるのじゃ!」に似たフレーズとして、アニメ版『魁!!男塾』のエンディングテーマ『幾時代ありまして』のなかに、「此処でもう一と段盛(さか)り」という詞がある。 

『魁!!男塾』ED「幾時代ありまして」

 ……とここまで書いていて気付いたのだが、これ本当は「殷盛(さか)り」と言いたかったんじゃないか。「段盛」はお供えものを置くケーキスタンドみたいな形をした仏具のことで、いっぽう「殷盛」は繁栄する、勢いがさかんになること。下敷きになってる中也の詩にも「今夜此処での一と殷盛(さか)り」とある。
 ともあれ「一と殷盛(さか)り」も「栄えるのじゃ!」と同様、どちらかといえば国家だとか組織レベルの「繁栄する」ということを、個人レベルに当て嵌めているところに仕掛けがある。
 そう、僕は栄えていきたいのである。

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 僕くらいの年齢になると、周囲に人生を投げやりに考える人がちょいちょい出てくる。曰く、自分は負け組だ、自分の余生は時間を潰すだけだ云々。若者のそれとは違い、五回裏あるいは六回裏七回裏くらいまで来てしまった人のリアルな感覚として、だ。
 他人だったらどうでもいいのだが、それが少なからず気にかけている友人だったりすると、なんとか励ましたい、人生そんなに捨てたもんじゃないよ、どだい世の中が競争や虚栄を煽るからいけないのであって本当は勝ちとか負けとか格付けというのはすべて観念で、そんなものはないんだよと言いたくなってくる。

 だが励ますにしても、僕自身はじゃあ人生にイエスと言えるのか? と問われると、躊躇なく、即座にイエスとは言えない自分がいる。
 自分自身の人生にイエスと言えない人間が、どうして悲観的あるいは虚無的になっている友人を励ますことが出来るだろう?
 そこで僕は、まず自分が人生に「イエス」と言えるようになること、そのためには自ら「栄える」ことが必要なのだと思ったのだった。鞠谷アンジュ、力を貸してくれ…!

 人生というのは苦しいこと、つらいことは勝手にやって来るが、楽しいことは自分から作ってゆかなければならない。「栄えるのじゃ!」というのはそういう、自らやってゆけというパッションである。
 大きく考える必要はない。まずは周囲のちょっとしたことからでも構わないだろう。僕はこれを書いた勢いで、牛バラに煮豚にチキンレッグ、サーモンたたきを買ってきた。それにタリアテッレとジェノベーゼペースト、オリーブにピクルスも。そんなんでいいのかよ! ……はいそんな程度でいいんです、まずは。僕の繁栄はここから始まる。

 いつか友人が、そばにいるだけでちょっとほっとするような、そんな存在になれないだろうか。それは高望みすぎるだろうか。できればそういう人に僕はなりたい。
 そんなわけで、栄えるのじゃ!
 
 


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