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心の暮らし向きについて

 2016年にメルケル大統領がローマ法皇に謁見したさいに、フルトヴェングラーのボックスとシラーの詩集を贈ったというニュースがあった。下がその時の写真である。

 フルトヴェングラーのボックスとシラーの詩集という組み合わせは、おそらくベートーヴェン交響曲第九番の第四楽章、《歓喜の歌》を指し示しているのだろう……そういえば、もうすぐ世界各地で歌われる時期ですね。
 《歓喜の歌》はまた、欧州評議会がEUの精神を表すものとして「欧州の歌」と定めてもいる。つまりローマ法皇に対して「これがEUの精神ですよ」というニュアンスで贈ったのだろう。

 このボックスはMEMBRANというレーベルから市販されているのだが、MEMBRANは著作権切れの音源を激安で販売するレーベルであり、このフルトヴェングラーボックスもご多分に漏れず、著作隣接権切れであるためたいへん安かった。107枚組で、たしか当時は1万円くらいだったと思う。現在はさすがに数倍になっているが、それでも充分に激安であることに変わりはない。

 そんなわけで、僕も値段につられてひと箱持っているのだが、そこでふと「ローマ法皇がこのボックスを聴くとしたら」ということ考えたのだった。
 というのも、もしローマ法皇がこの中の1枚を聴くとしたら、それは僕が同じCDを聴くのとまったく同じ時間を過ごしたことになるのではないか。もちろんオーディオとか座ってる椅子とかの違いとかはあるだろうが、基本的には同じはずだ。え、すごい、ローマ法皇と同じ時間を過ごしてしまった! というわけである。
 思えばどんな有名人やお金持ちでも、映画って観ますよね。すると、その映画を観ている2時間というのは、誰でも一緒なわけです。
 そのようにしてじつは人間というのはかなりの時間、同じことをやっていて、たとえば寝ている時間にもほとんど差はない。寝床はそれぞれ違うだろうが眠ってしまえばだいたい同じことだ。また、僕は大富豪になったとしても、朝起きたら今と同じようにまずはコーヒーを飲むだろう。せいぜい豆がちょっと良くなるくらいの違いだ(けれどマグカップは…おそらく今と同じものを使うと思う)。

愛用のマグカップ

 そんなこんなで、映画や音楽あるいは読書だとか、はたまた睡眠やらちょっと一服やら、そういう精神生活には、あまり身分も職業もなにもないよなと思うわけです。

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 それと半ば関係のある話だけれど、暮らしには「からだの暮らし」と「心の暮らし」があるのではないか。
 「からだの暮らし」というのは、どこに住んでなにを食べてというようないわゆる物質的な「暮らし」。だがそれとは別に、なにを考えている時間が多いか、というようなことがあって。
 たとえば表向きは良い暮らしをしていても、いつも心が安まらない、揉め事や心配事、怒りや悲しみばかりで、つらい「心の暮らし」をしている人もいるだろうし、逆に、比較的心が平穏で、なにか素晴らしいこと(それが何であるかはこの記事では書きません。一寸考えてみてください)を思い浮かべている時間が多い人は、心の暮らし向きは良いといえる。

 これは負け惜しみとかではなくて、本当に「心の暮らし向き」の良し悪しというのがあるのではないかと。
 そこでふとさっきの「ローマ法皇も自分も同じ音楽を聴いているときは同じ時間を過ごしている」というようなことを思い出したわけですね。別にコンテンツを消化するだけではなく、空想だったり思考でもいいけれど、いずれにせよなにか素敵なことを考えている時は、やはり、いい時間を過ごしていると言えるんじゃないかと。

 私事をいうと、年末だということもあって、いかにも煩わしい親族会議だとか、仕事でイライラするようなこととか、公私ともにあれこれあってここ数日はあまり心穏やかではないのですが、昨日で一応仕事納めになり、ちょっとここらで気分を整えて、せめてもよい「心の暮らし」をしてゆきたいな、と思ったわけです。

 なんとなく言いたいことが伝われば幸いです。そして、よかったら一緒に「心の暮らし向き」、改善してみませんか。
 それではまた(・ω・)ノシ 


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