きっかけは重要じゃなかった
全く関係ない話を聞いているとき、ふと昔あった出来事の記憶が蘇り断片が繋がる瞬間が訪れる。
今日はオードリーのオールナイトニッポンを聴いていた。
冷凍食品をレンジでチンするくらいで聞くコーナー(コーナー名あってない気がする)
リスナーの投稿
「気になる女の子とエレベーターで二人きりになったんです・・・」
「予定にはもう5分以上遅れていたんです・・・」
「僕は毎朝会うおじいさんがいて・・・・」
3つの違う話題で私の一つの過去がつながった。
この文章を読む人にはなんの関係もない話をこれから書く。本当になんの関係もない。
ラジオを聴いて絶妙な感覚を手に入れたので自分自身が忘れないための覚書き。
中学から高校にかけて私は自転車で通学をしていたのだが、いつからだっただろうか毎朝一人のおじいさんと挨拶をすることが日課になっていた。
私は毎朝、通学電車がくる10分前くらいに爆速でそのおじいさんの家の前を通過する。
寝る時間こそが至福な私にとって朝起きるのは超苦痛。家を出る時間はいつもギリギリだったので、おじいさんの目には一人の競輪選手のように映っていたかもしれない。
おじいさんに会う場所は決まって彼の家の前だった。
いつもの通学コース。この道は細いが距離にして最短。その道を抜け、大通り沿いを長く走ることで駅に着くまでに信号を待たずに必ず向かいに渡ることができるコースだった。
それだけ一秒一瞬に命をかけていた私は風のようにおじいさんの前を通り過ぎる。
その瞬間に私は「おはようございます!!」と叫ぶ。
おじいさんが私を観測できる時間は実に3秒ほどだっただろう。
一瞬で過ぎ去る自転車に向かいおじいさんはいつも満面の笑みで「おはようございます!」と返してくれた。
オードリーのラジオを聴いているときに唐突に断片がつながった気がした。
その現象を偶然思い出し、ずっと違和感を抱えていたことに気がつく。
”毎朝おじいさんは私が通るあの一瞬に必ず家の玄関前にいた”
偶然なわけない。
おじいさんは毎朝私を待っていて、大きな声で挨拶を交わすことで今日という一日を始める活力にしていたのだ。
満面の笑み。まさか彼が一生あの笑顔で過ごしていたはずがない。
きっと私との挨拶が彼にとってかけがえのない瞬間だったのだ。
自分への好意を数年越しに受け取ってみた。
そして私があの道を選んでいたのは「満面の笑顔おじいさんに会うため」でもあったことにもまた気がつく。
二人の間に流れていた「偶然の装いという日課」。
敢えて意識と無意識の間でお互いを認識することで彼は永遠に”名も知らぬ近所のおじいさん”であり続けた。
若すぎた私はもしあのとき”おじいさんが私に持つ好意”を、”好意”として意識下においてしまったとききっとあの道を通ることは無くなったんだろうなと思う。
何が言いたいのか分からなくてもいい。
思えばそんなことばかりだったよな。
この瞬間もいろんな断片が繋がる。
言葉にしない感情を敢えて作る大体そのほうが都合がいいってことにしておこう。
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