仮想現実と現実生活と
●一言で言うと
今年1年を振り返りながら「マトリックス レザレクジョンズ」を鑑賞
私たちの中には、現実世界を生きているつもりだが、もしかして仮想現実の中にいるのではないかという違和感を持っている人がいます。文化の東西を問わず、一定数の人がその感覚を持っているということを書きます
※映画を鑑賞されていない方は、一部内容に関する記述がありますため、ここから先はお読みにならない方がよろしいかと思います
●本文
○現実生活(今年1年について)
今年1年は体調不良が立て続いた(顎関節症、絶え間ない顎の痛み、頻尿や尿もれ、過敏性腸症候群、安静時や起床時の激しい動悸、手足の震え、偏頭痛)。これが手を変え、品を変えやって来る
体調不良だから会社を休んだ訳でもなく全く仕事が進まなかった訳でもなかった
とにかく仕事はやる、ここにブレはなかったが、こんな沢山の不定愁訴を抱えて生きたのは初めてだった
これを一言で片付けると「自律神経失調症」、しかもかなり重症の、です
様々なお医者さんを訪ねた。手足の震えはパーキンソン病を疑い、新橋の専門クリニックに、激しい動悸はホルター(24時間心電図)を装着し、顎の絶え間ない痛みにはマウスピースを着けて眠った。頻尿や尿漏れには男性専門のクリニックを受診し、過敏性腸症候群にはそれ専用の薬を飲んだ
何が自律神経を失調させるのか、その原因を一言で言うなら『仕事の過剰摂取』だった
それを自覚出来たのは、つい1か月前のことだった。『仕事を詰めて進めていくことは善である』という思い込みがある。これはアルコールを浴びるように飲むことやリストカットと同じで自傷行為になっていたことに気付づく
ある投資家の方のご厚意でコーチングを毎週受けている過程で、徐々にそのことに気付く
コーチからのメッセージと同時に、やったことのないゴルフに同時期に5人から誘われ、自動車の運転を再開するようにアドバイスを頂き、生きていく選択肢として全くなかった再婚を検討するようになった
そんな心境の今年のクリスマスイヴはこんな1日でした。仕事の過剰摂取を止めようとしている途上で起こった仕事のoverdoseの詳細は以下の通りです
○12月23日
19時
支援先の焼肉店に某ワイナリーの方を招いてメニュー開発や利益率向上のための方針を決める
24時
ホテルで仮眠
○12月24日
4時 起床
ホテルで起床。ゆで卵とコーヒーで身体を起こす
5時 資料作成
オフィスで本日のプレゼン資料の骨格をPCに打ち込む
9時 資料作成
仕上げと集中
10時 打合せ
構築中サイトの定例ミーティング
11時 打合せ
新規お取引先と定例ミーティング
12時 打合せ
プレゼン資料についてデジタル専門会社の担当者と打合せ
13時半 打合せ
開発中のクライアントとの定例ミーティング
千代田区での次のミーティングのためタクシーでテレカンを続ける。制作中のコンテンツもメールで同時進行
14時 ご紹介と打合せ
千代田区にて専門家と若手社員を引き合わせるミーティング
15時 社内会議と来訪者対応
タクシーでオフィスに移動しながらスマホで社内会議参加。帰社してすぐにお取引先が大挙して来社されてるがプレゼン直前の資料の詰めを行うためPCに齧りついて離れられない
16時 プレゼンテーション
プレゼン本番。準備していた資料を基にオンラインで45分間、忙しい経営者を前に説明し、質疑に応答する
17時 移動と会議
プレゼン終わり即座に退職社員のためにお取引先ご挨拶に移動。タクシー車内で出資先の役員、投資家とのミーティング
17時半 社外儀礼
退職者ご挨拶
18時 社内融和
退職者の心身をほぐすために軽くお酒を飲んでもらう(お酒のニオイで吐き気がするタチなので私はホットココアを美味しく頂く)
19時 移動と打合せ
タクシー車内で退職者とEXITミーティング
20時 メール
メール返信
21時 心身調整
時間ギリギリだったのでタクシーで某所に移動。温浴とサウナに駆け込む
22時 食事
某所を出て本日1食目を食す
24時半 帰宅
帰宅→寝落ち
これが私の(世の中で言うところのクリスマスイヴの)1日であり現実と認識した生活でした
この現象が、全て仮想現実の中の出来事なら、自律神経失調も全て仮想現実ならば、ゴルフも運転も仕事の納期も友達もお取引先も全てメタバースの世界のことだとしたら、どう解釈して良いものなのかと思案します
そして、これだけ過密に仕事を摂取するから、overdoseするから、自律神経がやられるのだと思い至りました
その一方でこの過密さ、overdoseを楽しんでいる自分がいることも片方の事実であります。やはり私は堅気の皆様と比較して、ネジの2本や3本が抜けているのだと感じるのであります
○マトリックスについて
マトリックスの1作目は1999年公開で私は良い年齢になっていました。22年という月日が経過したことについて、1年1年が長いと感じるにも関わらず、映画表現としてのマトリックスの4作目には1作目の残滓が目立ち(それを全て否定する訳ではありませんが)作品として物語りとしての限界を感ずるものとなりました
映画の終わり方からして、これから3部作が始まることを確信しました。スターウォーズしかり、ターミネーターしかり、1作目に全てが詰まっていると感じるのは私だけではないと思います
しかしこの4作目に強烈なメッセージも込められていることも事実です。1999年に映画として表現されていたフィクションが、4作目には現実感を伴った近未来のドキュメンタリーになっているからです。
映画や物語りは、もはや社会に機能していない前提でこの作品が制作されていることを見抜き、自分がこれから生きていくための「仮説」として活かす素材なのだと理解しています
1年ぶりに映画鑑賞をして、何かを取り戻しました
本当にありがとうございました