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旅行記(6月23日~27日)

久しぶりにnote書きます。
文章自体はなんだかんだ書く機会があったので書いてましたが、noteではない媒体にするために書いてました。
今回は6月中旬から7月頭までの西日本の旅の振り返りを一部抜粋して文章にしました。
走り書き感も味として捉えて読んでもらえれば幸いです。

6月23日


ゆっくりと休んだ。朝起きると「ゲストハウスたみ」はとてもいい雰囲気。湯梨浜町の町を散歩する。ほんとうに何もなくていい街だった。町に唯一と言っていいような喫茶店でモーニングを頂く。その町の喫茶店でモーニングを食べている時が一番その町に馴染んでいる気がする。この時は豊岡で買った伊藤計劃の『ハーモニー』を読んでいた。
ほぼ何もしてない。「何もしない、をしに行く」が目的だった今回の旅、東郷湖でぼんやりしていた時間がこの旅で一番満たされていた時間かもしれない。最近の社会はとにかく何をするにも意味を求められる印象がある。意味のないことをしている時間があったらもっと効率よく仕事をして、お金を稼いで消費をしろ、と迫られる。いつも気をつけて日常を過ごしているつもりでも、いつの間にかその考えにからめとられてしまう時がある。そこから抜け出すためにも旅という手法で物理的にいつもの空間から抜け出し、いつもは意識しないものに意識を向ける。あるいは意識そのものをやめる。私たちにはただぼんやりする時間が必要だ。

6月24日


「たみ」で朝ごはんを食べて散歩。「汽水空港」でお昼ごはん。湯梨浜町には「ジグシアター」というミニシアターがあり、そこでゴダールの映画を見る。『ウィークエンド』という作品。車社会への批判的な目線というメッセージは理解できたが、描写が強烈なこともあり、どう受け止めていいか分からなかった。映画を見た後、会場から出たときに空の美しさ、現実味のある日差しの暑さに驚いた。
昼寝して隣町の浜村というところへ。「喫茶ミラクル」という面白いところがあると紹介してもらう。どうやらビリヤニを食べられるイベントをやっているらしい。そこでビリヤニを作っていたのはなんと住職書房の前身であるゲストハウスを作った人だった。SNSなどで近況を知らない人との再会はこんなにもうれしくて、驚きがあって、深く印象に残るものだとは。ビリヤニもとてもおいしくて、いい出会いがたくさんある場所だった。

6月25日


湯梨浜町を出発する日。身支度を整えて「たみ」をチェックアウト。
湯梨浜町にて考えたこと。
豊かさについて。何度も言われてきたことだろうけど、ものがたくさんあることに豊かさを感じる時代は終わりにしたほうがいいんじゃないかと思う。人間の欲というものには際限がないのだから、ものがいくらたくさんあろうと本質的には豊かにはなりえないはず。それならば限りあるものでいかに豊かに生きるかを考えた方が楽しいのではないか。文明の発達は創意工夫からはじまる。少し話がずれたけど、私は町にはいい宿といい本屋といい喫茶店があれば満足できてしまう。湯梨浜町には確かにそれらがあり、加えてミニシアターと東郷湖という自然環境まで揃っている。これ以上何を望むというのか。
「ジグシアター」で映画を見るつもりだったが時間を間違えて見逃してしまう。東郷湖でぼんやりと過ごして「汽水空港」に別れを告げ、一路尾道へ。
山陰から山陽へ。途中、高梁市を通る。ベンガラ格子のあるとてもいい町並みだった。マンホールカードを貰うも途中で落としてしまった。風情のある駄菓子屋で芋けんぴなどを買う。
日が暮れる前に尾道に到着。懐かしさを感じさせてくれる町。尾道は狭い路地が入り組んでできた町で、そこかしこにどこへつながっているか分からない路地への入り口が潜んでいる。そんな尾道でラーメンとちまきを食べて、ほろ酔いで町を彷徨うと、気づいた時には真っ暗な路地に迷い込んでいた。確か猫のおしりを追いかけていたような気がする。暗闇のなかでは自分の輪郭があやふやになる。誰にも見つからず、自分の手のひらも見えないから、自分というものを認識しているのは自分の意識しかない。いかに自分の存在というものが他者から与えられた働きかけに依っているか、などと考えていた。

6月26日


「尾道浪漫珈琲」でモーニング。極上の朝。明るい尾道を歩き回る。どこを切り取っても大好きな町。尾道の本屋「紙片」にて高山の友人が作った作品を見つけた。「古書ミリバール」にて店主の藤井さんとお話。ラジオや本で見聞きした通りの人だった。世捨て人感、ひねくれもの、大学生嫌いの話。三軒家アパートメントは京都大学の吉田寮みたいな感じだった。行ったことないけど。昼間からタバコ吸って油売ってるひとがたくさん。尾道はこういうモラトリアム人間を許容してくれる町だと思う。京都の左京区のような。
「尾道書房」にも寄る。エロ本が普通に置いてあってたのしい。藤井さんの店然り、尾道は猥雑さもある町だ。旅中に書いた手紙を出すための封筒を探しに「綴る。」というお店へ。予想していた文房具店のようなところではなかったけど、とんでもない美人が店番してて話してみると台湾茶が飲めるとのことだったのでいただく。いろいろお話しているうちに夫婦の年齢が一緒だったり共通の友人がいたりで盛り上がった。
宿に戻り昼寝、その後うどんを食べに「風月」というお店へ。尾道に行ったときは必ず寄りたい店だ。あっさりしたかつおだしに油揚げとおうどんがたゆたっている。尾道といえば尾道ラーメンが有名だが、私はとりわけお酒の〆には「風月」のうどんである。今回は飲む前の腹ごしらえにうどんを頂き、焼き鳥屋でサクッと飲み始める。その後は「Yes。」というビールが飲める不思議な空間へ。屋上で尾道の斜面を眺めながら飲むビールは最高だった。深夜に開く古本屋「弐拾dB」へ。ラジオがとても心地よく聞こえてくる、タイムスリップしたかのような空間。椅子で眠りこける人がいるのも納得だが、あくまで古本屋ということをわきまえてもらえたら…
私も藤井さん同様、いろいろなものに負け続けて本屋という場所を開いたわけだが、本屋には本屋の矜持がある。本屋は写真を撮るために訪れる場所ではないし、古本だからといって雑に扱ってよいものではない。
愚痴っぽくなってしまったが、「弐拾dB」はとてもいい場所だった。突然だが本屋に関する本の引用を。

「僕は本屋は勝者のための空間ではなく、敗者のための空間なんじゃないかと思っている。誰でも敗者になったときは、町の本屋へ駆け込んだらいい。」『ガケ書房の頃』山下賢二著 夏葉社刊

まさに「弐拾dB」は敗者のための空間だと感じた。まともに生活していたら深夜に古本屋なんて行く用事はない。それでもそこに人が集うのは、もちろん寄り添ってくれる本を探すためでもあるだろうが、そこが「開かれている」からだと思う。本屋には、特に用事がなくても足が向かうものである。そして、用事がない者を受け入れてくれる場所でもある。コーヒー屋に行ってコーヒーを頼まずにそこにいさせてください、はなかなか通用しないだろう。本屋としては一冊くらい買っていってもらいたいところだが(文庫の古本なら100円程度だろう)冷やかしも全然許されると思う。いろいろなものに負けたとき、どこかへ行ってしまいたくなる。そんな時に「開かれている」場所として在りたい。私が本屋をやっている理由もこの辺りにあると思っている。

6月27日


海岸で芋けんぴを朝食かわりに食べる。日差しが暑い。図書館へ行く。たまたまかもしれないけど、業者の人がうるさすぎてぜんぜん集中できなかった。本を読むという行為にそんなに注意が払われていなかったように感じてしまった。前日に「ターゲブーフ」の店主が話してたことを思い出す。尾道はもともと古本屋がたくさんあったり、本というものに特別親しみがあったわけではなさそう。聞けば「紙片」や「弐拾dB」もここ数年でできた店らしい。
向島へのフェリーに乗る。ちょうど旅中に読んでいた『深夜特急』の香港の描写、スターフェリーを思い出す。市民の暮らしにフェリーが溶け込んでいる景色はなかなか見られない。尾道側の海沿いをあてもなく散歩して、気が向いたら運賃の100円玉だけ握りしめて向島へ渡るフェリーに乗る。たった五分ほどの船旅だけど、陸の移動に慣れきっている身からすると、この五分間で実際の移動距離よりも遠くへ行けた気分になる。向島ではお好み焼き屋と喫茶店へ。お好み焼き屋の鉄板が鏡のように美しかったことが記憶に残る。自分以外はみんな地元の人たちで、店主のおばあちゃんはお客さんの好みをすべて把握していた。具材、焼きそばの量…観光客へも分け隔てない感じもとてもよかった。喫茶店はクセありすぎなおばあがやってた。ガハハと笑うタイプのおばあだ。ほかのおばあが来て、名前を覚えてないやらなんやらでちょっと険悪な空気になってるのもおもしろかった。仲がいいパターンしか見てこなかったから新鮮。夜は福山まで電車で行き、友人おすすめのやきとんの店へ。とてもいい店だった。隠れ家的なロケーション、白と銀が基調のやきとんの店とは思えないインテリア、料理のクオリティ、店主の愛想、思想、すべて完璧な店だった。食文化の話、店を続けるということについて話した。明日のことを考えて早めに就寝。

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