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【推しマチ#02】山と水の景、歴史×アートでひらくまち~長野県大町市(信濃大町)~(その1)

Jsurpメンバーによって、全国各地のまちを紹介するシリーズ『推しマチ』第2弾でご案内するのは長野県大町市・信濃大町!
 山と水の景に恵まれ、歴史やアートで開かれたまちである大町市・信濃大町の魅力や様子、まちづくりの動きなどを2回に分けてお伝えします。


北アルプスが迎えてくれるまち

 長野県道31号長野大町線は通称「オリンピック道路」と呼ばれ、1998年の長野冬季オリンピックを契機に改良整備された道路で、私の暮らす長野市からとくにここ最近、仕事で頻繁に訪れる大町市へはもっぱらこの道を使います。アップダウンのある山間の道を延々と走り抜け、最後、三日町トンネルの出口に近づくと一変、目に飛び込んでくるのがこの景色です。

県道長野大町線の三日町トンネル出口付近(長野市方面から)

 真正面に屏風のように聳え連なる北アルプスがドーンと迫り、やや俯瞰気味に、左手に大町市街、右手に田んぼが広がるパノラマ景を目の当たりにすると、「ようこそ!」と出迎えてもらったような気持ちになります。

 毎度、車を止める間もなく通り過ぎてしまいますが、とくにこの時期、天気のよい初夏の昼下がりに車を走らせながら、水が張られ煌めく田んぼの水鏡に美しい北アルプスの姿を映し出す場を見つけると、急いでいても思わず引き返してカメラを構えたくなります。

田植え直後の田んぼの水鏡に映る北アルプスの山並み

水が生まれるまち

 ここ大町市は長野県の北西部にあって、地形的には松本盆地の北端に位置する人口3万人弱の自治体です。市の面積は県下で5番目に広く、西縁は県境をなす北アルプスの稜線で富山県と岐阜県に接し、巨大な雪の壁で著名な山岳観光ルート「立山黒部アルペンルート」の長野県側の玄関口として、昭和30年代後半に引湯により計画的につくられた大町温泉郷は、山岳観光の基地になっています。

高瀬川支流の鹿島川のほとりに佇む大町温泉郷

 北は白馬村に接し、南は松川村、池田町、安曇野市さらには松本市とも接していて、松本市との境に名峰・槍ヶ岳(3,180m)があります。この山に端を発する水が高瀬川となって北に下り、大町温泉郷付近で篭川や鹿島川と合流して南に折り返し、幾多の水脈・支流を集めながら安曇野市で犀川に合流、再びそこから北北東に進路を変え、市街地の標高差で360m以上低い位置にある長野市で千曲川(信濃川)に行き着きます。

 鹿島槍ヶ岳(標高2,889m)や爺ヶ岳(標高2,670m)、五竜岳(2,814m)など、山を隔てて大町市の東に隣接する長野市の市街地からも、場所によってはよく見えるこれら北アルプスの高峰を眺めては、地形のダイナミズムと、大町市が長野市と同じ流域にあって“水が生まれるまち”であることを実感させられます。

資源としての大町市の水

 大町市において水は、古代から人々の生活や稲作等に利用されてきましたが、明治時代後半からは電源開発にも用いられ、大電力を必要とするアルミニウム製錬などの工場立地により、地域に大きな雇用や消費が生まれ、住民の暮らしや市の発展と深く結びついてきました。

上空から眺めた大町ダム(奥)と木崎湖(手前)

 上の写真はつい先日、信州まつもと空港から新千歳空港に向かう飛行機(FDA)の機内から大町市の一部を撮影したものです。この写真の奥にちらっと見えているのが高瀬川にある大町ダムで、さらにこの上流に七倉ダム、高瀬ダムという日本有数の規模を誇るロックフィルダムがあります。これら2つは東京電力のダムで、首都圏の電力の一部はここで生み出されています。

 他方、先の大町ダムは、国土交通省直轄の多目的ダムで、地元の民話にちなみ「龍神湖」とも呼ばれ、私の所属する株式会社KRCは、平成14年から『大町ダム水源地域ビジョン(すいりゅう・いきいきプラン)』の策定に携わり、以来継続してこのダムを活かした流域の活性化の取組に関わり続けています。

 昨年度から景観計画の策定(KRCが業務支援)に着手した大町市において実施されたアンケートでは、人造湖であるダム湖も良好な自然環境や景観を味わえる場として、住民の皆さんに広く認識されていることを改めて知ることとなりました。

エメラルドグリーンの湖面に映えるダム湖周辺の紅葉(大町ダム)

 大町市で水と言えば、天然の湖も挙げられます。先の上空からの写真の手前に見える大きな湖面が木崎湖です。夏場は湖水浴もできる湖で、この少し上流に中綱湖と青木湖があります。これら3つの湖を合わせて「仁科三湖」と呼ばれています。

 3湖のなかで最も面積が広い青木湖は、県内で最も水深の深い湖で透明度が高く、周囲の森林とともにどこか神秘的な雰囲気を醸し出しています。今夏、この湖に面する場所に民間のカフェがオープン予定とのことで、湖畔でゆったりした時間を過ごせる場づくりの新たな動向として注目されるところです。

青木湖畔から湖越しに北アルプス北部の白馬連峰方面を望む

 この仁科三湖に端を発する農具川(高瀬川の支流の一つ)も古くから農業用水として利用されてきた河川で、大町市街の東側を流れるこの川の河川敷に、地域の有志によって植えられ管理されているシバザクラが毎春、北アルプスを背景に川辺一帯を彩り、多くの人々の目を楽しませてくれています。

残雪の北アルプスを背景に農具川沿いに咲き誇るシバザクラ

 ところでこの「仁科」という地名は、国宝「仁科神明宮」や仁科台中学校(現大町中学校)など大町市内ではわりと馴染み深い名称で、長野県民ならば誰もが口ずさむことのできる県歌「信濃の国」の歌詞のなかにも「仁科の五郎信盛」とその名が登場しますが、元々は中世、この地を治めてきた豪族の名で、その仁科氏が市内の水田開発や集落、市街地の形成に大きく関わっていたそうです。

※参考・参照『水と人 しなのおおまちの宝』(大町市)

男清水と女清水

 水資源に恵まれた大町市は、市内の水道水の原水がすべて湧水で、水道法に基づく最低限の塩素減菌のみで各家庭に届けられているとのことです。大町市街を歩くと何か所か自由にこの水を飲むことのできるスポットに出くわします。

 「男清水」、「女清水」の看板がその水場の目印で、室町時代、仁科氏により形づくられた大町市街は、南北に走る千国道(後の千国街道)に沿って町割りがなされていますが、この千国街道を含め駅前付近から北に向かって国道148号に通じる道(本通り)の東西で飲み水の水源が異なり、本通りより西側は北アルプス水系の水、東側は東山の居谷里湿原の湧水にそれぞれ由来しています。昔話で、西の集落では男の子ばかりが生まれ、東の集落では女の子ばかりが生まれたことから、本通り西側の水が「男清水」(おとこみず)、東側の水が「女清水」(おんなみず)と呼ばれるようになったそうです。

 そんな物語も頭の片隅に入れながら、この本通り沿いに広がる大町市街(まちなか)をそぞろ歩くと、さまざまな発見に満ち溢れたまち歩きを楽しむことができます。

本通りの東西で水源の異なる水を飲み比べてみるのも一興 (写真上:男清水、写真下:女清水)

次回内容

 本記事では、大町市・信濃大町の概要や『山と水の景』にまつわる魅力や資源をご紹介しました。その2はまちなかのメインストリートや歴史的資源、近年取組が進められているまちづくりの動きなどを下記内容でお伝えします。ぜひ、合わせてご覧ください。

  • 大町市のまちなかのメインストリートを歩く ~本通り界隈~

  • 新たなまちづくりの動き ~信濃大町100人衆プロジェクト~

  • アートの力 ~北アルプス国際芸術祭2024~

(小林真幸/Jsurp理事・株式会社KRC)

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