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「経済学者に騙されないため」に騙されないために

「経済学を学ぶ目的は、経済学者に騙されないためである」という言葉を聞いたことがあるだろうか。これはAmazonとかで売られている怪しげなビジネス書のタイトル…などではなく、れっきとした経済学者の、それも異端派に属しながらも強い影響力を持った女傑、ジョーン・ロビンソンの言葉である。

このあまりにも便利すぎる言葉は、ネットにおける経済論争において、あまりに濫用/悪用されてきた。「経済学者は権威を笠に理論で人を誤魔化す得体の知れない存在である」「経済学者は悪意を持って人を騙し、自らの利益になるように誘導しようとしている」「自分と意見が異なる学派を支持する彼らは騙されている」などである。

ジョーン・ロビンソンについてある程度知っている人や、教員側に立ち書籍なども出版する人ですら、この文面だけを自己流で解釈して引用し文脈などを掘り下げる人はほとんどいない。せっかくなので、この言葉が登場する文脈を調べてみよう。

ジョーン・ロビンソンについて

ジョーン・ロビンソンはポスト・ケインジアンである。「ケインジアン」とは「ケインズを支持する経済学者」であり、ジョン・メイナード・ケインズという、自由放任主義から政府介入主義へ、経済学理論の主流派の転換を成し遂げた歴史上最も影響力のある経済学者の一人のことである。そのためケインズの唱えた理論においてどの部分が大事かという見解の違いから「ポスト・ケインジアン」と「ネオ・ケインジアン」という二つの学派に分かれている。

ポスト・ケインジアンの「ポスト」は後継者的な意味合いがあり、ケインズの地元イギリスにおいて発展してきた。マルクス主義の影響を受ける者がいたりと政府介入主義の側面が色濃く、自由主義/市場機能の批判を行っている。その特徴として「歴史的時間(慣習や推量による意思決定)における不確実性の重視」「制度の重視」にまとめられるが、一枚岩ではなく体系性には欠けているため、ある側面のみで語るのは難しい。

ネオ・ケインジアンの「ネオ」は新しいという意味合いがあり、世界の中心がイギリスからアメリカへと移るのと同じくして、アメリカで発展してきた。その立場は自由放任主義と政府介入主義のどちらかではない、つまり両方を支持する第3の立場と言える。「時間概念を廃した静学的な立場」を取り「意思決定における合理的選択原理と均衡理論を支持」、経済の分析が比較的容易なモデルを提供し政府の政策決定にも関与するなどしている。この学派は、ポール・アンソニー・サミュエルソンという、20世紀中頃に最も影響力があった経済学者を中心として形成されている。

さてケインズの死後に学会の主流となったのはネオ・ケインジアンだが、ポスト・ケインジアンはネオ・ケインジアンを、「ケインズの理論を歪めて捉えている」として批判してきた。その中で、ジョーン・ロビンソンは急先鋒とも言える立場であった。彼女は自らを「造反の血」と自称し、たびたび毒のある言葉で批判を行なっている。

こう見ると「経済学者に騙されないために」という発言はこの批判に起因していると考えてしまうが、実は文脈が違う。次にこの発言の元を見ていく。

「経済学者に騙されないため」の意味

さて「経済学者に騙されないために」という言葉はどこから来たかというと、『マルクス主義経済学の検討ーマルクス・マーシャル・ケインズ』という書籍から来ている。マルクス主義に影響を受けてケインズと同様の理論を先駆けて提示していた経済学者ミハウ・カレツキのことをロビンソンは高く評価していたが、彼に影響を受けてマルクス主義経済学について検討しようとした書籍なのである。(ちなみにインドでの講演が元になっており、マルクス主義に関する書籍は他にもいくつか書いている)

しかしロビンソンはこれによってマルクス主義を支持したというわけではなく、剰余労働価値説や窮乏化法則に関しては否定しながらも、再生産式表については評価していた。言葉の通り「検討」をしたのである。それを象徴するのが『マルクス主義経済学の検討』における以下の記述である。

ある経済学者のイデオロギーを好まないからといって、その理論から学ぶことを拒否するのは愚かなことである。また同時に、そのイデオロギーに賛成するからというのでその人の理論に信をおくことも、賢明ではない。(p27)

ロビンソンが対立派閥の主張をより理解を深めた上で批判をするという姿勢がよく分かる。「経済学者に騙されないために」という言葉を前の文章を含めて調べてみると、より具体的な部分が分かるだろう。せっかくなので原典の英文で引用する。

In short, no economic theory gives us ready-made answers. Any theory that we follow blindly will lead us astray. To make good use of an eco- nomic theory we must first sort out the relations of the propagandist and the scientific elements in it, then by checking with experience, see how far the scientific element appears convincing, and finally recombine it with our own political view. The purpose of studying economics is not to ac- quire a set of ready-made answers to economic questions, but to learn how to avoid being deceived by economists.

後学のためにこれを訳してみる。

要するに、経済理論は受け売りの解答を与えてはくれません。盲目的に理論に従ってしまうと、私達を迷わせてしまう。
経済理論を上手に使いこなすためには、まず理論の中にある政治的な意図を持って宣伝している要素と科学的な要素の関係を整理し、そして科学的な要素がどこまで説得力を持っているかを経験と照らし合わせて確認し、最後に自分の政治的見解と組み合わせなければならない。
経済学を学ぶ目的は、経済問題に対する受け売りの解答を得るためではなく、どのようにして経済学者に騙されるのを回避するかを学ぶことです。

ここまで調べれば「経済学者に騙されないため」という言葉の要点は、「人々を騙そうとしてくる経済学者への対抗」にあるのではなく、「どのような経済学者の主張も安易に賛同したり批判したりしてはいけない」ということにあることが分かる。自身の政治的信条の説得力を増すため、あるいは自身と見解が異なる人間を否定するための道具としてこの言葉を使ってしまうことが、発言の趣旨から外れることが分かるだろうか。

これで「経済学者に騙されないため」の意味が少しは理解できたと思う。今後この言葉を使うことがあれば、こうした背景も意識して使ってみて欲しい。そして、こうした言葉に頼らず自分で「経済学を学ぶ目的」を調べ考えてみるのもいいだろう。

関連・参考文献

【根井ゼミ】「1日1文 経済学の名言」第1回 ジョーン・ロビンソンの名言
https://webfrance.hakusuisha.co.jp/posts/4072

経済学と経済学者の「自然発生的哲学」  寺尾建
http://doi.org/10.14990/00003732

『サムエルソン 『経済学』と新古典派総合』 根井雅弘
https://www.chuko.co.jp/bunko/2018/02/206548.html

『現代経済思想史講義』 根井雅弘
http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b493069.html

『マルクス主義経済学の検討―マルクス・マーシャル・ケインズ』都留重人/伊東光晴訳

"Marx, Marshall, and Keynes," in Contributions to Modern Economics Joan Robinson



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